知らない力
「知らない」はパワーだ。ポテンシャル、と言い換えてもいい。
ただし、ポテンシャルとは、それをエネルギー変換してはじめて取り出せるものにできる。だから、取り出そうとしなければ出てこないもの。
じゃぁ「知らない」をパワーとして取り出すためには?
たぶんそれが「知りたいと思う」ことであり、さらにそれを「知ろうとする行動」。
これは、その人の年齢によって引き出し方は変わる。
それが幼児である場合。「これ何?」攻撃で、両親に、大人に、どんどん聞いて回る。これでいい。時に大人がめんどくさがることがあるけれど、どんどん聞けばいいのだ。
これが小学生なら、テキストを一緒に見ながら学んだり、適切な図鑑や辞典を推奨するのもありだろう。さらに一歩進むと、図書館の使い方を学ぶのもひとつ。これをどう習うのか、どう使えるのかを知るのは、今後の人生での重要な分岐点になる気がしている。もちろん、意味が分からないところは少なくないが、現場見学、社会見学も重要だ。
中学生から高校生くらいになると、そうした問題にどうアプローチすべきか、社会見学も、「見せられる」ところを脱して、「自分から見るべき対象を探していく」ことが重要になる。さらに、場合によってはデータ収集、実験などを通じて知るべき裏付けを取り始めることも可能になる。
大学生になると、そうした「知るべき」「追求すべき」対象を自ら設定し、それをいかに裏付け、また分析し、解いていくかが求められる。
知らない事を知るという力こそが、すべてを前に推し進めていく。
「困ったなぁ」で、放っておくのではなく、
「困った。で、どうする?」と考え、解くべき行動へと移行できるか?
力にすることは、意外に簡単そうでいてむつかしく、
いや、むつかしそうでいて、簡単だとも言えるかもしれないんだけど。