評価対象

過去と比較する場合、ほとんどの場合は、後から俯瞰的に見ることができることによって、やっぱりこうすればよかったよね、という回顧の念に駆られることがある。

過去に対して、今をどうするのを見直すのが通常。

 

しかしもし、見直す/過去を糧にすることすらしなかったら、それこそ今以上にひどくなるということを放置することになりかねない。そんな、さらに進むひどい未来に対して「ここでとどめを打ったこと」ということを「褒められる人」「評価できる人」はどのくらいいるだろう?

 

そもそも当時のその決定者が、「今になって」やっぱりやめた、というとバッシングされること多数。だからこそ、人が切り替わって、「だから今、やめるのだ」となると称賛される。もちろんこれでもすごい。

しかし本当にすごいのは、当時の決定者が今になって過去の自分を省み、やはり間違っていたと「自分で自省できること」ではないのか?甘んじて批判を受けながらも、正しく前へ進もうとするその強さは、称賛に値しないのか?(もちろん、責任は責任として、別扱いで対処は必要)

多くの人は「過去に起きたこと」をバッシングする。が、見るべきは「今」であり、今正しい方向に向きなおそうとしているものにたいしては、正しく評価すべきだろう。いかに過去を断ち切るか?評価として混同しないで切り分けられるか?