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…て言うかぁ

最近はそうでもないかもしれないが、ティーンエイジャーの会話において、耳に着く言葉があった。

「…て言うかぁ」

というキーワード。

 別にこの言葉に限らない。他にも「逆に」なんてのも、話している当人たちにおいては、きっと同じ意味合いだっただろう。

 

誰かが語っていることを受けて、場合によってはそこに割り込むために最初に発する言葉。それが「て言うかぁ」であり「逆に」。のはずだが、ここでは言葉の意味は(極端に言えば)ほぼ無い。

なので本質的に先の発言を受けて「て言うかぁ」を発することで、『と言うよりもむしろ…』という意味合いとして使いたいわけではなく、その前言に割り込むための「ウィンカー」を出していることでしかない。前を受けることはもちろん、場合によっては肯定も否定もせずく、対話にしていかない。

 

ただ、コンテキスト的には会話の内容は、同一の傾向、話題を示していることが多いものの、雰囲気としては合っていても、意味論的にガッチリとかみ合っている会話ではなさそうなのが特徴だろう。少しずつズレている、ズラしている。こういう風に誰かの発言を、自分の流れに引き込む。ある種のテクニック?

 

対話は、相手の意見と対峙し、それを受けて、それに乗っけていくことで話が強固になり、また関連性が強いうえで話が広がる。なんとなくフンワリとつながっているだけでは、なかなか奥深いものにはならない。

 

 

…と、若者だけをディスりたいわけではない。大人だって同じなのだ。

「要するに…」

この言葉を話すと、何かそれ以前の会話、話題を整理し、整えてくれるような印象を持つのだけれど、かなりの数の大人はこの「要するに」を、内容を要すること無く、「なるほど」とか「ふむ」とか、感嘆詞や、逆接/順接を意識せずに、たんなる接続詞として使う。ひどい大人は若者同様「逆に」も使う。

 

言葉を操ろうと思うと、「a:相手の言葉を聞き」→「b:意味を理解し」→「c:それに連なる反応、対応を考え」→「d:それを適切な言葉にする」ことで初めて言葉になる。が、自分の言いたいことしか言わない人は、「c´:自分の言いたいことを考え」→「d:それを言葉にする」ばかり。

 

聞くことができていなければ、対話などできない。当然、議論にもならない。考えを深めるためにも、誰かのアドバイスが欲しい時にも、まずは「聞く/聴く」ところから始めなければ、そんな接続詞を使わなければ会話にならないという事。

 

正しい接続詞の使い方を意識して会話してみてごらんなさい。途端にむつかしくなりませんか?ってくらい、相手の言葉、聞いて、本質を理解できてますかね…、私も。