読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

報われる のかなぁ

努力が報われる…のが保証されるなら、誰もがそれを躊躇なくやるだろう。でも、10努力したから10の見返り、100だから100の保証、などどこにもないのが現実。

 

会社に就職するという生き方は?というと、ボンヤリと「安定」と考えている人がいたかも知れないけれど、なかなか努力に見合うお金をもらえたと思っている人、少ないんじゃないだろうか。今から半世紀ほど前には「サラリーマンは、気楽な稼業と来たもんだ…」という世界もあったらしいけれど、昨今の企業人はそこまで気楽にいけないのはよくご存じの事。

しかし、釣り合わない、見合わないからこそ、こうも言える。10の努力で、100も1000もの見返りを受ける可能性もあるのだと。

 

すでにインフレを本格的に味わったことのない世代には分からないかもしれない。昔はとりあえず言われた仕事をしているだけで給料は上がったらしいし、ポジションも上がったらしい。それもこれも国自身が世界の中で発展し、同時に人口も増えていったから。ある世代の努力の要素も無いとまでは言い切れないけれど、まさに「そんな時代だった」と言う背景の力が大きい。

でも今、世界経済が停滞し、人口も右肩上がり出る増えるなんて、ずっと終わりなく進み続けるわけもなく。この「地球」という場所も資源も有限なわけで。

 

であるからこそ、昔あった時代背景でブーストされた分相当に誰かに報いてもらおうとか、報われる云々という考え方にちょいと違和感を感じ。やったことに見合った何とかとか、やればなにか得られるというのは、ある程度期待するのはいいとしても、必ずしもそうでない場合もあるよね、という程度に考えておかなければ、結局息苦しくて。

と同時に、場合によっては自分が想像もしなかったリターンがある場合もあるわけで。それはそれでラッキーなこと。

 

誰にも得意なこともあり、と同時に不得意なこともあり。得意なことで得られる報酬分で、不得意な事をすべてカバーできるわけもなく。逆に、対して得意じゃないことでも、誰かにカバーされてありがたいと思えたりもするわけで。そう思えることによって、逆に誰かに尽くしてあげたくもなったり。

報われるために尽くすではなく、尽くした結果として報われる「事もある」。今の経済の回し方が、資本家の考えに偏りすぎている、投資に対するリターンという考え方に偏りすぎているのが、自分としてはなんとも…ってことなのかも。

 

ま、あまり考えすぎずに、やれることをやりませんか、ということで。

あんまり「誰かの価値観」に頼りすぎずに。