自分の限界

あぁこれはできないや。自分の限界に気付く。

…というのもあるけれど、これは別の側面から見ると、「自分の限界をそこに設定する」ということ。もうそれ以上努力したくない、疲れちゃったよ、という事でもある。

私が感じる本当の限界は、「これもやった、あれもやった、でも越えられない、まだ超えたい、でも越えられない、どうすればいいんだ!超えたい!でも…」というのが事実上の限界。そのうえで、そこで「もうダメかもな。あきらめよう」とそこを「限界にする」。

 

もちろん、人間だから、万能じゃない。何かに限界はあるし、どこかで必ずやってくる。ただそれが、何の努力もなしに「あぁここね」と、軽い気持ちで思えるところは、たぶん本当の限界じゃなくて、「やめたかったからあきらめたポイント」の事が多いんじゃないかな。

 

でもこのご時世、こんなことを書くと、「すべての人を限界まで搾り取るようなブラック企業」を思い浮かべる人も。あれももちろん限界なわけだけれど、ある意味働く人に責務を押し付けた「善意の搾取」の色を持つところがある。当たり前だが、人間性を否定し、自分自身を壊すような限界を目指せというつもりはない。が、逆に言えば、そういった言説を盾に、常に甘やかし、自分の限界に挑まず、あぁもうここでいいでしょ、疲れた疲れた…と「限界を設定する」人がいるのも事実。どちらも「振り子」としては、左右に振れすぎていて、そのいい塩梅、頃合いを見極める必要がある。

ま、いつもの事だけど、何を考えても、どれを議論してみても、その塩梅、「バランス」に行きつく。

 

世の中、いろんなバランス感覚が必要だという事だよね。一方に振り切れ過ぎない。でも、振らなさすぎないのもいけない、ということ。