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無料とのスタンス

この年末年始の連休を利用して、某無料サービスを使い始めた。

めちゃくちゃ便利だし、クオリティも高い。ITに疎い知人のサポートも含め、こちらにバックアップを用意することで、かなりの労力とコストが軽減されそうだ。

 

こうした「無料のサービス」、フリーのメールアドレスをはじめとして、ファイル転送サービス、名刺管理サービス、コンテンツ視聴サービス等々、昨今はいろんなサービスが花盛り。それらをうまく使えば、非常に効率よいネット生活を行うことができるので、知人の中には日々、そういったサービスを研究している人もいる。

 

だが、「無料」は無料である限り、いつ辞められても文句は言えない立場でもある。だから、そのサービスに完全に背負われる形の何かは非常に危うい。

 

その一方で、特に日本人は「サービス」に関するコスト意識が非常に薄い。ある意味「無料、見っけた!ラッキー ⇒ 当然」にすぐに意識が変化する。だれも何のコストも負担しない物事はあり得ないのに。何らかの形で、誰かが、そのコストを支払っていて、それが「目に見えなくなっている」だけなのが「無料」。

その対価を、実はとてもとても価値が高い何かで支払っていたとしても、「知らなければ無料」だし、「対価が何か」を知らされているとは限らないし。

 

「無料」が、Freeという名によって、とっても世界にからめとられやすい不自由さとつながっている”かもしれない意識”は、この先も、どんどん薄められ、麻痺していくのかな。

双方に都合のいい思惑でつながっているのが「無料」じゃないかな?