呪縛
「あなた」は結局どうなりたいのでしょうか?
ちょっと抽象的すぎるとすると、3年後の今日、5年後の今日、どんな自分でいたいですか?
「〇〇という環境の中で、これこれをする時間ができて、たまには別のこんなこともしてみたい…」といった未来もあれば、「いや、今と同じで構わない」という未来もなくはない。「周りのみんなに慕われ続けていたい」といった考え方もある。即物的には「これと、あれと、あれが手に入っている状況」と考えることもできる。
こう考えると、「なりたい世界」におけるいくつかの切り口がある事に気付く。
周りの環境:それは物理的環境、社会的環境、人間関係
物質的事象:あれが手に入っている、これを持っている
能力:〇〇ができる、これこれの免許所得
等々。
だが時に人は、誰かにこう思われるであるように在りたい!という呪縛に縛られていたりしないか。ひところのピークは過ぎた感はあるけれど、それでもある「結婚」という呪縛。確かに結婚すれば/しなければ得られないメリットもあるだろう。だが同時に、したらこそのデメリットも出てくるはずだ。その両面にフォーカスをあてずに、「周りがしているから」とか「みんなにこう見られるかもしれないから」という視点での「なりたいハズの状況」に縛られていないか。
自分ごとであればあるほど、一度は絶対自分主体で考えよう。自分がどうありたいのか。これがどれだけ明確にイメージできているか?
それさえイメージできれば、ソコと現状のギャップこそが、これからの人生で埋めていくべき項目。何かの呪縛に縛られず、本当に自分がやりたいことを見つけようよ。