客観と主観

客観性とは何だろうか?

昨今は分からないことは何でもネットを調べてみることで、国語辞典の代わりにもなる…と調べてみると、「誰もがそうだと納得できる、そのものの性質」なんてのが出てくる。(ついでにその反対語として「主観性」などと記載されている。)

 

あぁそうか。と、小中学生なら納得もするかもしれない。だが昨今、いろんな事象、いろんな個人的欲求も千差万別の時代。そんなに「誰も」が思う事が一致するのだろうか?そう考え始めたとたんに、「客観性」の範囲が、時代とともにどんどんと小さく、狭くなっていく感覚にとらわれた。

 

では客観性とは?時代によって変わる?

もちろん、そうそう簡単に変わらない普遍性をもってして「客観性」と呼ぶ、昔から変わらぬ意識の範囲もあるだろう。

だが、それこそ社会事情、経済事情により、今の時代に応じた「客観性」もあり得るのではないか?

そう考えると客観性は実は、現代における「主観性の最大公約数」でしかないのではないか?反対語ではなく、それぞれの意識の中にある主観の共通部分が客観性であり、共通でない部分が主観性ではないのかと。

 

いままで全く対照的、反対の言葉だと思っていたことも、実はそうではない事があるのではないか?この意識/認識が変わったとたんに、ものの考え方、とらえ方も変わる/変えざるを得なくなるのではないか?

 

ま、こんなこと考えてるから、めんどくさい奴とか、むつかしい奴といって煙たがられるのだけれど。