日本の性向

これまで、日本人の性向/気質は、貯蓄だった。他国と比べ、貯蓄率が高く、高齢者ほど大きなお金を持っている。大きな要因はいろいろありそうだけれど、たいてい「老後不安」だと片づけられることがおおい気がする。

だがこの状況も変わりつつあるように思う。以前には聞かれなかったような言葉が聞こえてくる。その一つが「老後破産」。ここ何年も経済成長が鈍化した日本において、この言葉を耳にするようになること自体が恐ろしい。
いや、昔からもいなかったわけではないだろう。が、以前はそれほどこうした言葉を聞かなかったのは、たぶんそれが少数であり、マイナーであるからこそわざわざ言葉として出てこなかったこと。だがそれがこうまで言葉になるとは、テレビ番組で特集を組まれるようになるまでになっているという事自体が、深刻さを増している事実を突きつける。

 

さまざまに原因がありそうだけれど、その一つだと思うのが、「日本の企業の気質」。これは数字でも明らかなとおり、彼らはこの何年もの間、莫大な内部留保を貯め続けている。

同じく、企業、それも大企業はそこそこに発展している…のかもしれないが、日本の企業の9割が中小企業。一部大企業だけの話として統計処理されることで生じる「理解と現実の不一致」が、中小企業における実態を伴わない経済成長の掛け声となってむなしく響く。

 

内部留保が今ほどひどい形で積みあがっていなかった以前は、その分の原資は労働者に還元されていたか、再投資に回っていたはず。だがそれらが内部留保という形で、「その企業の未来だけ」を担保する形に固定化されることで、社会に還流されなくなる。

当然賃金は(一部の上場企業を除いて)さほど上がらず、実感を伴う景気回復には程遠い。
よって以前はできていた個々人の預金も積み増されず、逆に取り崩す形を強いられる人は徐々に貯蓄が減る。個人の未来を担保していたものが徐々に崩壊し、老後破産へのスタートが切って落とされることに。

 

要は、これまでは個人はさほどリスクを取らず、企業はいろいろリスクを取って回っていたそんな社会だった「日本型経済」から、企業がリスクを取らず守りに入って予備費を積み増し、それによってリスクを請け負う対象が個人に付け回され、個人でリスクを取らざるを得ない時代になった、という事か。

その証拠というのもなんだが、ここ10年来、「個人でリスクを取る」なんていううたい文句、それを脅し文句にした金融商品がたくさん出回っているでしょう。

さて、そんな究極の「個別最適」でいいのかねぇ。「国」として崩壊していくことにはならないんだろうか?「国」って、そうして生き残った「いい人だけ」で出来上がっているものではないだろうに…。