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諸刃のテクノロジー

私の今の生活には、基本「テレビ」がない。時々仕事、プライベートでホテルに泊まることがあって、その際には見ることはあるけれど、自宅では「テレビ」を見ない。

以前はテレビ漬けにも近いほど見ていた。毎シーズンのドラマ、アニメ、ニュースからバラエティに至るまで、あれもこれも…。録画もしていた。見切れないほどのコンテンツがテープに貯まり、DVDに貯まり、ハードディスクに貯まり…。いまだに見れていないものが残るほど(バカだね)。

 

録画機を使っていた時期はまさに最強。裏番組や寝ている間の番組、帰宅時間に間に合わない番組はことごとく録画。自宅外からその機器に、予約し忘れていた録画予約を入れられるまでにしていたくらい。

たしかに留守録みられる番組が増えた。そもそも「番組録画」という行為自体がこれほどまでに普及したという事自体がすごいことだと思う。
昨今、さまざまな形で著作権問題が取りざたされ、やれ金払え、権利料払えとかまびすしいけれど、昔から「番組を時間をずらして見聞きする」ことは許容されていたし、それを体現した装置が録画機だった。

 

でもそれによって最近は制約も出てきた。
スポーツ番組、生で時間が読めない番組が嫌われ始めた。開始時間はまだしも、いつ終わるかめどがつけにくいスポーツ番組は、かつてなら延長放送を行って放送していたが、それでは後続の番組がズレる。そもそもその番組自体が、「当初の録画予約」の時間枠で収まらず、録画していたものを見る人は、肝心の「最後の結末」が録画されない事に。後続番組のみに興味のある人は、ズレた番組が録画されていない事に驚愕する事にも。

録画機が普及したことでテレビ番組の価値が延命したのも事実。でも、録画機が普及したことで、番組の柔軟性を失いかけていることも事実。

もちろん、テレビ側もテクノロジーで乗り越えようと、そうした番組延長を可能にし、録画機もそれを追いかけていけるような機能も考慮されているのだけれど、効果的に使っている人の話を聞いたことは、私個人としてはいまだかつてない。

そうしたスポーツ延長などを楽しみにしている人はどこに向かっているのか?いままさに、「ネット放送」に向かっているように見える。

 

ネットでの放送。昔なら画質が荒く、とても見られたものではなかったけれど、昨今の技術の発達、通信回線の太さなどなどがあいまって、大きな問題なく見ることができる。

「ネット放送」ならチャンネルは事実上無限。他の放送がズレる影響はまずない。さらに、その放送、たとえばスポーツ生中継ならかならずどれも最後まで放送できるというメリットもある。どちらの視聴者も万々歳だろう。

 

こうして徐々に、ネットにシフトしているかもしれない現状。事実、テレビ番組の制作コストが格段に下がり始めていると聞く。スポンサーが付きにくくなってきている状況。

ある意味、正しい競争でもあり、時代の流れでもある。

ある機器に/テクノロジーに助けられて反映してきたビジネス。でもその機器に/縛られてしぼみ始めるビジネス。

これもイノベーションのジレンマなんですかね。