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真の理解

本当に「それ」を「理解した」って、いつの事なのかな?たぶん、いつ理解できるのか、本当にはわからないんじゃないかな。

 

今、それを理解したつもりになったとして、でも、それにまつわる多くの事が、それをりかいしたつもりになった事を契機に、「次の疑問」として生み出される。一つ分かったことで、三つも四つも新たな疑問が生まれ出る。もしもそれらが生まれてこないなら、もしかすると「その理解の深さ」が浅いことを表しているかもしれないし。

 

幼児には幼児の、小学生には小学生の、中学生には中学生の、高校生には高校生の、大学生には大学生の…と、それぞれに応じた理解のレベルがあるはず。今の年齢、今の知識で理解できたとしたとしても、その後にまた「わからなくなる」こともある。

人生、わかったと思っていたことが分からなくなったり、わからなかったことが急にわかるようになったり。

 

でも、それでいいんじゃないかな。それが「成長」だと思うんだけどね。

だから、「真の理解」を探し続ける中で、「今の理解」が存在する。

もしかすると、自分が生きているうちにおいては、まずは「今の理解」で十分なのかもしれない。でも他の人にとっては、「その理解」では不十分で、さらなる探求が必要になるのかもしれない。

 

だからそもそも、「それは自分に必要な理解がなされているか」を「理解しておくこと」。私も含めて多くの人が、それすらおろそかにしていたりするもんだから。

それをもっと深く理解したい!追求したい!それがエネルギーとなり、つぎへの力になるんだし。