使い切る

日々の生活をしていると、〇〇が切れた/使い切った、というシーンは時々出てくる。マヨネーズ、カラシ、ワサビ、ケチャップ、ドレッシング…といった調味料。歯磨き粉やシャンプー、石鹸のたぐいもそうだろう。

 

モノを使い切るのは、その中身がなくなったときか、そのモノ自体が壊れたとき。中身がなくなるのは分かりやすい。

壊れたとき…っていつというくらい、最近のモノは、なかなか壊れないモノも増えている(半面、使い捨てというくらい、簡単に壊れるようなモノも他方には存在しているのだが)。

皆さんのご自宅の、テレビ、エアコン、冷蔵庫、洗濯機、掃除機…は、「壊れて」から買い替えるというよりも、そろそろ新しいものに…ということの方が多いのではないだろうか?それくらい、そうそう簡単には壊れない。

 

…であるがゆえに、一度壊れてしまったり、不具合が出ると途端に厄介になる。なぜなら、それが日常の一部に入り込み、自分の生活の一部であり、それがないことでとても不便になる、生活の一部が壊れるからだ。

 

最近私のアナログ腕時計が壊れた。もう何年も愛用していたもので、メンテナンスもしていた。それが突然遅れだし、数日間は時間合わせをして使えていたものの、ある日を境に、竜頭をまわしても時刻合わせすらままならなくなった。たぶん歯車が摩耗してしまった可能性が高そうだ。

 

腕時計が壊れて買い替える…などというのは、ついぞ私の周りでは聞いたことがなく、不便な日々を過ごした。長期の使用で愛着もあり、結果買い換えたがなかなか捨てるに忍びない。

デジタルガジェットなどは、演算能力不足や、バッテリーがお釈迦になって使えなくなることはよくある。が、物理的に経年劣化により壊れた装置を久々に体感した私。次は何が壊れるだろう。

 

どこかで誰かが書いていたなぁ。購入者の寿命より、LED照明の寿命の方が長い人もでてきた…と。