標準

今年の桜。東京は3月21日あたりに「開花宣言」がなされた2017年春。これを聞いて多くの人は、「おっ、今年の桜は早いのか!」と思った人多数。

にもかかわらず、寒い日は続くし、なかなかコートが手放せないぞ…という日々が続き、4月になった昨日今日でも、一部の地域を除き、なかなか桜は咲いていない状況の場所も。結果としては桜の開花状況は例年より遅れているところがほとんどであり、場所によっては「桜祭り」などと称してライトアップする時期を再調整したりずらしたり…とけっこういろんなところに弊害が生じている感覚。

 

そもそも、「標準木」という桜の開花の基準となる木は、今の感覚として本当に「基準たり得る木」だと考えてよいのだろうか?聞くところによると、かなりお年の古木がそれに制定されているそうだとも聞く。

こちら(桜の開花を決める標本木について 桜.jp)にそうした情報も書かれている。そろそろ東京における標準木も切り替え事も検討すべき時期なのではないだろうか?

 

そもそも「標準」というのは何をもってして標準なのか?ということ。物事の基準として成り立つべき基準を示す情報であるべき必要がある。とするなら、それは時代とともに変化してもおかしくないモノもあるのではないだろうか?

「1m(メートル)」や「1g(グラム)」といった長さや重さといったものは、時代によってうつろってもらっては困る。しかし季節変動や、相対的価値に関しては、まさに環境や状況により変化するもの。その環境や状況の変化に応じて、「基準そのものの相対位置を調整し続け」なければ、そもそも「基準」としての意味をなさなくなるのは当然の事。

 

日本における株価の代表的指標としての日経平均(日経255)とは、市場の255の代表的銘柄をもとにして決められており、その255は時代によって調整の上入れ替えられているのをご存知の方もいるだろう。時代を表さなくなった企業の株価が基準である「そこ」に入っていては時代を表していない指標にもなりかねない。昨今の、老舗企業の不祥事や株価低迷などはまさにそのような状況そのもの。ここにも当然ながら栄枯盛衰が存在している。

 

だから、「標準」とは、「今を表す」ための、これまでの流れに沿った同じ位置にいるであろう基準を表すものでなければならない。時代ごとに移ろって当然の事。

ただ、桜のような生物の場合には、すぐに同じような環境、過去の計測記録…などから考えると、ハイ今年からこれね…と乗り換えるのはむつかしそうだけれどね。

 

今年のお花見は、今週いっぱい楽しめそうかな。