世代優遇じゃなくてさ

とある知人の社長がこう言っていた。

「私たちの世代ではどう考えても年金だけで生きていく老後などは到底無理な事。なので、年取ったところで働き続けるのですよ。」

 

ある意味正しい覚悟だろう。ある年代以上は、いかにして老後の(働かずに生きていける)費用をため込むか?足りなかったらどうしよう?などと心配している向きもあるようだ。が、こう言い切ってしまえば覚悟するのみ。足りない分は働いて稼ぐのですよ、と。

 

そもそもの当初の年金が歴史的にどのように制定されてきたか…というのは、きちんと歴史的認識を検証している頭のいい人たちにお任せする。ぜひそちらを読んで、学んで学習してほしい。その上で、僕らは年金をどう「とらえて」いるだろうか?「その年齢からは働かなくても生きていくに十分なお金を支給してくれる仕組み」と考えているのではないだろうか?

 

もちろん、人として必要な最低限の暮らしとしての保証などといった観点で、日本という国は生きることを保証している(が、これが正しく実行されているかどうか…はまた別の話だけどね)。ただその前提が、誰もが働かなくても、とか、左うちわで遊んでいても…といった、都合の良いとらえ方になっているのではないのかなぁと。

 

いや、私にしたところでもしも将来的に左うちわ状態、遊んでいても十分に生きていける資金が確保できるならそれほどありがたい状況はないかもしれないだろう。が、現実を見てみようよ。「あなた」はそうかもしれないけれど、「それ以外」はどうなるのさ?と。もちろん、そうした状況が何年も前から見えていて、それに適切に対処できなかった政治や経済の仕組みが悪い…ととらえる向きもあるのだけれど、それにしたところでそうしたことを「変えてくれる政治家」を選ぶ力を持っていたのも我々だし。

要は、自分たちでどうするか、皆ができるだけ等しく、皆が安定的に永らえるための施策を打っていくしかないわけで。そのために「誰かだけが」得をするとか「誰かだけが」いい目をするといった、特定の誰かに偏ったことにしない事、すなわち全体として最適化する事がいかに重要な事かと。

 

そのための一つの選択肢として、「年を取っても働き続ける」というのは、当然一つの選択肢。これ、年を取った人々を安く使い倒そう…などと考えると、それはそれで大変なことになるのは言うまでもない。正しく評価し、正しく対価を支払う社会にしていくほかないのではないか、という一つの選択肢。

 

年を取ると、身体も弱くなるとか、体力がなくなるというのもわかる。が、それ以外での価値をきちんと出せるように変わっていく必要が、年寄側にも期待されているということ。

もちろん、「今年から」と言ったところでそう簡単にマインドが変えられるほど人間は器用じゃない。10年15年かけて仕組みをソフトランディングさせていくしかないのは事実だろうけれど、それでもやるほかない。いや、それに変わるより良い対案があるなら、提案すればいい。良い意見は歓迎だ。

世代優遇ではなく、皆で繁栄し続ける、誰かを優遇するのではなく、皆で盛り立て続けるという事。言うのは簡単だ。が、どうしても「ここまでやってきた俺だけは楽をさせてくれよ…」という甘えが出るのも事実。これをどのように処遇するか、どのように基準を作るか…で困り果てるわけなのだが…。

俺だけは、私だけは…を考え直せば見えるものがあるはず。それ以外の多くは、勘違いした都合のいい既得権のキープが多いのだから。それ、特権層だけはっ、て話がほとんどじゃないですか。