やりたい衝動

子供が、それもたぶん5歳以下の子供がすごいのは、

「僕も/私もやるぅ!」

という衝動だろう。

見たこと、見えた事を、自分もやってみたい。言葉が話せる云々以前からこの衝動は見える。興味を持ったものは手にしたい、触りたい。大人の目から見たら危ないことなどお構いなし。自身が傷つくことも、それ自体を傷つけることも関係なく、なんでもやってみる。まず間違いなく、だからこそ彼らは何でも理解し、覚え、知識にしていく。すごいパワー。

 

これが、物心がついたあたりから、危ない/危なくない、やってはいけない事などが分かり始めたころから、自制心が働き始める。それでも興味津々の事には体を乗り出して見たくなる。それが子供。

 

大人になるという事は、もしかするとそうした好奇心、興味をどんどんと自制させ、失わせることかもしれない。これは危ないから、あれは危険だから、壊しちゃったらどうするの?などなど、さまざまな社会的、道徳的制約で、動かなくなる。

 

そしてそこに「理由をつけ始める」。

私には知識がないし…

私には技術がないし…

私にはセンスがないし…

 

子供は、「センスがないから」と躊躇したりしない。「知識がないから」とやめたりしない。とにかく触りたい、知りたい、理解したい。

この興味、衝動を「大人のセンスとして持ち続ける」事。

なぜやらずに諦めるのか?

なぜ触らずに諦めるのか?

やってみて失うことは何?

やらずに得られていないモノはもっと大きかったりしないの?

 

新しい年度が始まった。

今年は何ができるかな。

やりたい…と心の中で思っていても、ついついめんどくさいなと後回しにしている事。

今年は、一つでも、二つでも、やってみたいな。