どのインデックスを使っているのか
小学校のころ。地域の図書館に行き、広い書架のどのあたりに、自分が見たい本があるのかわからなかったとき。やみくもに歩き回るのではなく、インデックスを使って本を探し、その棚のところへ行って本を見つける、という手段を教えてもらったのが、とりわけうれしかった。何か埋もれている知識を発見するような、自分だけが見つけられるような、そんなちょっと偉くなったような気さえしていたのだろう。
でも当然ながら、「その図書館」の中にはない本も出てくる。でも多くの場合、小学生にとってはそこで事実上の「終了」だった。あとは本屋さんに見に行くくらい。
でもより大きくなれば…
町の図書館で、探し物。そこで無いなら?
県立図書館、国立図書館、場合によっては私設図書館や海外の図書館も。
これらすべての情報を完全に網羅した情報は、たぶんまだない。
Googleあたりはこれらをすべてデジタル化し、インデックス化したいと壮大な夢を描いているだろうけれど、たぶん、徐々に近づきつつはあるだろうけれど、完全には決してならない。
そう、必ず何か漏れるし、そのインデックスには登録されていないものが存在する。それを意識できるかどうか?そのインデックスには無いけれど、世の中にはあるかもしれない事。
「googleで検索して見て見つからない」のは、世の中に存在しない?
当然そんなことはないのだけれど、でもその意識の無い世代、少なくともそうした意識が薄まった世代は出てきているんじゃないだろうか?
確かにその「Googleのインデックス」は超巨大だ。でも、そこにはなかっただけで、もしかするとインデックス化されていないどこかには存在しているものがある。
ネット時代以前、検索エンジン時代以前には、そうした巨大インデックス自体を人類が共有できる仕組みがなかった。だからあちこちで同じ研究がなされていたり、資料が散逸していたりした状態があっただろう。
もちろんこれからはそうした事態は起こりにくくなっていくだろう。でも、それでも「そこにインデックス化されていないもの」は存在する。
インデックスになかったものは、この世に存在し得ないものではないという事。
疑う心を忘れたら、それはもう、「その手のひら」から出られなくなるという事なんだから。