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ルール、社会、秩序

少し前に、新幹線のリクライニングシートを倒すのは是か否かみたいな論争が。

なんと馬鹿らしいと思いながらネットの記事を読んでいたのだが。

 

そもそも、「装置の機能」として設置されているものに対して、使うべきか否かといった議論をする方がおかしい話。だから、使うべき、いや、使うべきではない…という論点自身がまずズレていたり。

とは言え、倒される側としては、突然何の前触れもなしに倒れてきては困る場合もなくはないだろう。なので、それは倒す側のエチケットとして、気を付けて倒すとか、ひと声かけてから倒すとか。少なくとも、周りに影響を及ぼしそうなことには、周りに「合図」を送ろうよ、というだけの話。「承認」じゃないよ、「合図」。これ以上議論の余地がある事自体が不思議な国。

 

そもそも、日本はそんな社会の中でなんとなく慣習としている事がルール化されているかのようになっている事自体が不思議な国。コミュニケーションが下手すぎる国だ。

 

ルールだから従うのか、ルールになければ何をしてもいいのか…という二択になっている時点で「ハイ間違い」。ルールになっていなかったとしても、相手を見極めて、常識として対処するのが成熟した社会。

 

たとえば他にも、エスカレーター。

関東では、左側にみんなが乗って右側を空ける。それはエスカレーター上でもじっとしているのではなく、自ら上りたい人ように空けているというなんともあるような内容な理由っぽいのだが。

だがこれ、朝のラッシュ時においても、左側にながーーーーい行列を作って待っていて、右側は1列空いてる…なんてシーンも目にする。それ、あけておく必要ありますか?そっちの方が効率落ちてませんか?何のために守っていますか?

 

いや、それに従う意味も分からないわけじゃない。時々、個人が臨機応変に対応しているのを、「なんでお前だけがルールを破っている」と、「自分も我慢しているであろう、ルールを守って自分で考えない人」から文句を言われるのが嫌な人、対処がめんどくさい人は、おかしいと思いつつもそれを踏襲したりする。

 

結局、ルール化する、明文化されているのに従う方が、面倒が降りかかってくる可能性が低いからこそそうするということ。少しの我慢で面倒を遠ざける。特におかしな事、ひとに巻き込まれたくはないからね。

 

多様性を認めんがために、多様性向けの(面倒が起こりにくい)ルールを制定化しないと動けない社会。でもそれ、僕らが求める社会なのかなぁ?本当は、個々に、そのシチュエーション別に判断できて、でも全体もうまく回る社会の方が、住みやすいんじゃないのかな?

結局、住みやすい環境、社会、そしてそれらを維持するルールが降ってくる、誰かに与えられる…ということを求めていては、結果的に僕らが生きづらい社会になるのでは?多少自分自身で苦労しないと、結果的に生きやすく、生活しやすくならないのでは?

 

…それにしては、日本の社会は劣化しだしているのではないか?という危惧もあるのだけれど。怖いんだよね、最近、社会が。周りへの合図も出さずに行動する/されると、受け身の取りようもなくてさ。