全ては忖度

「忖度」

ここ数か月でこの漢字が読めるようになった人は、私を含めて少なくないだろう。

ニュースに明るいみなさんはご存知の通り、さまざまな政治事情、経済事情等々のニュースに絡んで、こんな言葉が関与した事件が日々取り上げられる。

 

この「忖度」とは、他人の気持ちを推し量ること、に他ならない。と考えると、実は「忖度」していないことなどあるのだろうか?と、そっち側を考えてみたくなる。

 

そもそも「忖度しなくていい状況」という事は、推し量らなくていい状況。仕事で考えてみると、すべての事情を言葉で伝えきっていて、その伝えたことだけしていれば間違いない(逆に言えば、余計な事はしてはいけない)という状態。でも、考えてみてほしい。昨今に限らず、「言ったことしかしない奴」というのは、「仕事のできない者」の代名詞そのものではないか。そもそも、仕事を依頼する方は、細大漏らさず事の内容を誤解なく作業者等に「伝えきる」なんてことはムリだ。となれば、その仕事を受けたほうとしては、「ここはこうしてほしいと思ってるよな、普通」とか、「ここは常識的にこうしておこう」という事があったりするので対処しておく。他にも「ここまで言っていなかったけれど、ま、こうしておく方が便利だしそのようにするか」と慮る。まさに、「忖度」するからこそ仕事として良い仕事、ありがたがられる仕事、私がやったからこその価値につながっているという事。

 

これ、発注/受注の関係のみならず、サービスを提供している仕事や、いまだ市場としてはないけれど、新規性や便利さがドーンと受けて爆発的にヒットするような商品を開発している会社がやっている、開発時に行っているのが、「消費者を想像し、慮って、彼ら/彼女らが、いまは気づいていないかもしれないけれど、でもきっとしたいと思っている、できると嬉しいと思っているというのは、こういう事やこういう物、こういうサービスでしょ」という事。

これこそ「忖度」であり、忖度なくして良い仕事などできないのでは?

 

忖度しないということは、思いを馳せない、慮らないと言う事。だから言われたことしかしないということ。「それは聞いていませんでした」「そんなことは気をつけろとおっしゃっていませんでした」これでは良い仕事など成り立たない。

 

世はAI時代に入りつつある。コンピューターが、新たな入力から新たな評価指標/関数を作り出す世の中だって来るだろう。となると、その中で「人間が喜びそうな指標/関数」の出力を最大にするように変数を調整してくる…というのは、人間から見ると「忖度されている」かのように見えて来たところでおかしくない可能性は高い。

AIにさえ忖度される時代はすぐそこにきているのでは?いや、むしろAIって、忖度をいかに出来るように進んでいませんか?。

一番他人を慮るのが下手なのは、実はマシンではなく、頑固な人だった…なんて、星新一ショートショートみたいな未来が来たって、おかしくはないかもしれない。