その職業における武器

職業それぞれにおいて、必要とされるスキルに違いがある。翻訳家は外国語だろうし、文筆家は母国語…というのが一般的な理解だと思う。だが翻訳家であったとしても、「外国語」に堪能なだけならば、その国の言葉を話せる外国人でもいいはずで、実は「翻訳」としての品質に大きく寄与しているのは、外国語もさることながら、母国語の力が相当なければ、よい翻訳にはならないはず。

プログラマーは一括りにするには大きすぎ、言語が武器の方、論理が武器の方、ツールの扱いが武器の方などさまざま。

スポーツ選手などは、まさに「そのスポーツ」を、尋常ではないでベルで実施できることこそが武器なわけだけれど、それでも「そのスポーツ」の中において、(たとえば野球なら、「ピッチャー」と「キャッチャー」には)そこに求められる技術にはかなりの差異があるのも事実。

 

何をもってその道の「プロ」と名乗るかはいろいろありそうだけれど、その道の「スキル」で対価をいただく人々は、総じてプロと呼んでもいいだろう。

絵のプロもいれば動画のプロもいる。演出のプロもいれば、音楽アレンジのプロもいる。ゼロから生み出すクリエイター以外に、対価をいただくことができる仕事はいくらもある。

 

ただ昨今、AIの台頭に人々は恐れを抱いている。今自分が仕事としている内容を、近い将来、ロボットやAIに置き換えられるのではないか?自分は職を失うのではないか?そんな時代になってしまったら、私たちはまたゼロから何か仕事を学ばなければいけないのではないか?

以前書いた気がするのだが、「飲食店完全喫煙」に向けて反対している料理屋の主張は、「喫煙できるお客さんが減ってしまう」という、「今」のお客が減ることを危惧している場合が多いのではないだろうか?しかし少し落ち着いて考えるとわかる通り、「喫煙している客は減る」可能性はもちろん大だけれど、逆に、「今は来ていない、たばこの煙が嫌いなお客が、新たに入って来てくれる」可能性も大なはずなのだ。

 

今ないことを想像することは非常に難しい。でも上記のロボットやAIに「今ある仕事」を奪われたとしても、もしかするとその時には、「今はまだない仕事」がいくつもできているのではないだろうか?

そもそも考えても見てほしい。今こうしてみているWebやインターネット関連の仕事というのは、30年前には存在していなかった。仕事として成り立ってきたのは、ここ20年程度でしかないはずだ。

 だとすれば、その職業は「今はない」かもしれないけれど、それに必要となるスキルは、実は今目の前に転がっているのかもしれない。ネット時代において、タッチタイプや数学、ロジカルな考え方、そして多くの場合英語力が武器であり、それは30年よりさらにさかのぼった前から存在していたように、実は10年後20年後の武器となるスキルは、今、目の前に横たわっているはずでは?

 

だから、まずは好きなことを伸ばそう。何をしていいかわからないなら、好きな事をとことんやりぬこう。場合によっては、誰もそれで事を起こさないのなら、あなた自身ががそのスキルを「仕事」にしてしまえばいいのだから。