探す前提

Yahoo!に始まり、今じゃGoogleを普通に使っている日常がある。人に聞く前にとりあえず検索しろという揶揄としての「ググレカス」なんて言う言葉までできつつある。

 

思い出すために探すことがある。あぁあれ、何て名前だっけ…。これを思い出したいときに、その周辺の言葉を入力して探し出す。あの辺にあった、あれと一緒に出ていた、あのころにあった、「アレ」。たいていの場合、なんとなくのビジュアルやイメージが頭の中にある「アレ」を探す。当然、あるものとして探す。

 

場合によっては、こんなものがもしかすると「あるかもしれない」と思って探すこともある。それはもちろん「ないかもしれない」。だがここでの探し方は、それこそ「ある前提」とは違い、さまざまにイマジネーションを膨らませて探すしかない。特に「あるはずだ」と思って探す場合には、さまざまなアプローチ、さまざまな関連性を想像して、こちらの視点から、あちらの視点から、これとは関係ありそうだ…という思いつく限りの視点を絡めて探す。

 

…というこの思考、行為自体が、実は結構「頭を使う」行為だという事。物事を多面的、いろんな視点を持って見ている、理解しているからこそ、そうしたキーワードを探せること。

さらに言えば、「言葉」を知っていないとキーワードを組めない。当たり前の言葉ではあまりにノイズが多く引っかかるからだ。できるだけ専門用語、これにぴったりと言う言葉を一言で言い表せるかどうかが、検索のヒット率を大きく左右する。

 

と考えると、「検索する事」自体がすでに才能だったりする。その時点でふるいにかけられている。

じゃぁそれをどこで学ぶのかって?その一つは経験だろう。それと… w