委縮社会

ネットがこれだけ発達し、スマホがこれほど普及して、いろんなところでいろんな主張を「できる」時代になったからこそ、馬鹿な主張、意味のない独りよがりがまかり通るような時代になって、効率が落ちてませんかと言う昨今。

 

すでにうまく回っている何かの集団、どこかの組織に外からポッと入ってきたとき。そこのしきたり、そこの習慣をまったく無視しようとする者がいつの世にもいるようで。要するに自分の理論で自分の理屈だけでやろうとする人。

そこの組織、集団が、「今そうして回っている」には必ず何らかの理由があって、まずそれを確認したり、理解したりすることなく、「自分の理屈」を外から押し付けようとする。これじゃぁそもそも受け入れられないだろうし、当然うまく回らない事の方が多いのは言うまでもない。

 

当たり前だけれども、「自分の理屈を受け入れてもらう」ためには、その前提として「相手の理屈を理解する」ことがまず必要なはず。だからまずは「聞くこと」「理解する事」そしてそれらに対して「寛容である事」がとても重要になる。それなくして「自分の意見だけは…」と通そうとすることは、いうなれば、「自分の通したい意見には周りは寛容であれ。ただし周りの意見に対しては、寛容にはなれぬ!」と宣言しているに等しい。こんな一方的な取引は成り立たないのは当たり前のはずなのだが…よく世間で起きるらしい。

 

たとえば、ファーストフード店に行って、席について注文を取りに来い!と怒るお客はいない。基本的にモノを運んで来いとも言わない。カウンターで注文し、自分で持っていくというのが基本スタンス。であるがゆえに安かったり、早かったりという別の利便性を生んでいる。

こうしたファーストフードのように、明らかに日々皆が目にして使っているお店であれば、そうそうおかしなお客はこないのだろう。けれど、たとえば部品専門店で、安売りキャリアショップで、懇切丁寧な説明と、すべての疑問にお答えするような店員対応はふつうあり得ない店があって。そこまでのサービスを期待するなら別の店へ行けと暗黙の了解が店側客側双方にできているからこその、その店の価格設定として反映されている話で。そこまでするなら値段が高くなりますよなり、今ある何かの部分において別のデメリットが出てくる可能性さえ生む話。

 

ただ昨今厄介なのは、そうした個別の「勘違いの思い」を、「あの店はひどかった」とブログ等々で勝手に流すことができたりする事。これがまたちょっとしたファンがついているようなブログであると、その影響範囲がけっこうあるのが今の時期の厄介な話。

これをして「炎上」というネットスラングがまた生まれているわけだけれど。炎上にも、正しい炎上と、正しくない炎上とがありそうで。

 

ネットの意見は案外正しい…などという形で、たしかにおかしなやつもいるけれど、最終的には多くの常識人の声で是正されていくというのがネットの特徴という側面は確かになくはない。けれど、その是正のための時間と労力。その間における被害の大きさと、復活前の時間や費用を考えると、やはりターゲットになりたくない、委縮するという効果の方が多いのではないだろうか。

 

結局、ネットが広がったことによって、さまざまなことが委縮したりしてない?プライバシー情報や、コンテンツ情報、そしてこうしたお店の対応まで…という、委縮社会。

さらにテロ等準備とうとうに向けた取り締まる法案成立まで含め、委縮させる世界、社会で、経済など発展するんでしょうか?