自らを知る

何十年かぶりの友人と再会する機会を得た。彼は自分で事務所を構え、仕事を回している。まぁ、社員を何百人も抱える大企業にはなっていないのだけれど、大都市の真中に事務所を構え、会社としてもう何年も存続し続けているところからして、立派なものだ。

 

彼は別に「会社を興そう」と思って立てたわけではなかったらしい。以前働いていた会社が傾き始め、そこで働きながら知ったノウハウをたよりに、事務所を興さざるを得なかった。彼の場合はそうらしい。

たぶん、書類にしたり、情報にしたりする…といったその「ノウハウ」などというのは、当初はほんの些細な小さなことだったかもしれない。だが、それまでのツテを頼りに、小さな事務所を存続し続けてきた。日本の多くの中小企業のいくつかは、まぁたいていそんなあたりが相場なのではないだろうか?

 

大企業で働いていると、その中からリストラされたり、健康や介護の理由で退職したりした事でよくある心配ごとは、まさに「これからどうやっていくのか」。これから食べられるのか?そのためにはどうすればいいのか?以前が大企業で色々ケアされていて当然だと思っていた事がバッサリとなくなる事に気付いた瞬間から心配になることは多い。

ただその心配の根本は、「自分ができること」がわかっていない事、社会が期待する「自分の付加価値」を理解していない事ではないか?

 

よく履歴書に書くような、「普通自動車運転免許」とか「英検二級」は、ある意味わかりやすい。だが、それ以外はどうか?「簿記〇級」などもある、最近は「〇〇検定〇級」もある。そう、こうした「検定もの」が経歴として“書きやすい”のだけれど、それ以外にも自分の強みがあるのではないか?

これこれについて知っています。これこれをこうやって完成させたことがあります。これこれを、こんな形でリードしてきた実績があります。とにかく、「形にしたこと」「苦労したこと」それもただ大変だったではなく、「こうすればよかったと考えています」という教訓かできている事。それも一人のみならず仲間と、チームで、工夫したこと、苦労したこと、それらをまず思い出そう。それこそがあなたの経験であり、経験したことによって知識を得たこと、それを糧にして他の人には気付きにくい何かを生み出せる力ではないだろうか?

 

違う言い方をすれば、そうした「苦労したこと」「大変だったこと」から、きちんと自分の糧になることをくみ取れて整理できていない事こそが、いままで足らなかったことのはず。別に大きな成功をするだけが糧ではない。失敗から得られるものはたくさんあるはずだ。それを「糧」としてきたのか?

 

それさえわかっていれば、きちんと糧とできていれば、たぶん同じ失敗はしない。よりよいのは、具体事例をより抽象化してとらえ、対応策を確立することができていれば、鬼に金棒だろう。

まずそうした「自らが、これまで得てきたはずの糧」を整理しよう。たぶんそれは、あなたの価値観、誰にもまねできないもののはずなのだから。