究極の効率化された先に

効率化を突き詰めれば、すべてが同じになる、すべてが同一化する、例外を認めない、というところに行きつかざるを得ないだろう。個別のカスタマイズは認めない。それらに対応するための手間はかけられないという事。そうすれば、作るものは一つ、対応も一つ、やり方も一つ…なら、これほど効率よく回せるものはないだろう。

であるため、形は同じに、匂いも同じに、バリエーションはあり得ない…というところへと行きつくことが想像される。

 

でもそれでは、当然ながら、購買意欲はそがれるだろう。買い物の楽しみの一つは、いろいろある中からどれかを「選ぶ」という楽しみも実際にあるからだ。…と考えると、単純に「効率化」を追及したいというのではなく、選ぶ楽しみがあったうえで、全体としての売り上げが上がるような効率化、消費者、ユーザーが喜んでくれる効率化を目指すというのが本質のところ。

それなのに単にお題目のように「効率化」とだけ叫んでいる社内の誰かはいないだろうか?

 

要するに考えていない、真の目的がイメージできていないのではないかという事。単純に労働を効率化する事だけを目指す…というのならそれはもちろんそれもありだが、そこが求めているゴールなのか?それで大丈夫なのか?そうでないならその先に何があるのか?それをきちんと示さなければ、組織は、メンバーは、間違った方向に導かれてしまうのではないだろうか?

 

その先の世界はどうなっているのか?そしてそれに到達できるためには、今の目の前をどちらにどのように進めていくのか?この視点がなければ、たぶん走り出す方向を間違える可能性のほうが高いのではないだろうか?「効率化すること」を目指していますか?それとも「効率化された先にある何か」をめざしていますか?多分それは、企業も、個人も。