主張する世界

世界それぞれにおいてもそうだけれど、日本であるがゆえに、日本国内での慣習を表す様々な故事成語が存在する。たとえば「沈黙は金」もちろん、海外においても成り立つところはあるであろうから、日本特有とは言えないかもしれないけれど、特にこれまでの日本においては「沈黙」はある意味良いものとされていた。

この逆の意味を持つのが「出る杭は打たれる」だろう。同じ意味で裏返して言えば「郷に入っては郷に従え」というものまである。そのくらい、日本においては、つべこべ文句を言う前に、まずは黙って言う事を聞いておけ…というのが「空気」だったのだろう。

 

ただこの状況は、そうは言っても、黙って従っていれば、そこそこには待遇してくれているので、まぁじゃあ不満はなくもないけれど、黙って言う事を聞くか…という状況であればこその上記の言い分というのが大前提。もしもそれが崩れて、黙って言う事を聞いていたばっかりに、勝手に相手の都合のいいようにブンブン振り回されるのであるならば、それは黙っていられなくもなるものだ。本来主張すべき最低限の主張すらしなかったら、「あらっ?そんなことは言ってもらわないと分かりませんけど…」としらっと扱われる世の中なのであれば、「…それじゃあ言わしてもらいますが…」となるのも当然のこと。

 

そして現代の日本社会はまさに、黙っていたら大変ひどい扱いにされかねないので、じゃあ、主張すべきはきちんと主張しようじゃないか…という事に。

とまぁ、これはある意味、コモンセンスがなくなってきている、共通認識の「共通部分」がどんどんと薄弱化してきて、確認を取らなければ進められない世界になりつつある、ある意味、窮屈な世界になりつつあるよ…という事。

嫌だなと思う人も多いだろう。でも、そうなっちゃっているのだからある意味仕方がない。そういうことが嫌いで、だから相手に慮って(おもんばかって)対処する人もいらっしゃるのだけれど、今度はその施しを受ける側が、偉そうに出る等々、要するに、双方に遠慮とか、思慮とかが足りない世界、足りない日本になりつつあるというのが現状ではないのかなぁ。

別に昔がすべてよかったというつもりはないけれど、そんな遠慮がちな、相手への思慮深さが貴ばれる世界という状況として、それはそれで、気づかいは息苦しいかもしれないけれど、ある意味、過ごしやすかった世界もある。極端にいえば昔の日本だろう。現在はといえば、言ったもの勝ち、やったもの勝ち、逆に言えば言わなかったあなたが悪い…という世界になりそうな気配。ある意味、今なろうとしているように見える日本だ。

 

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