忘れられる自由、忘れてはならない事

私の記憶では、プライバシーにかかわる情報の取り扱いが最も厳しいのは、EU諸国のルールだったと思ったのだが。昨今のGAFAもしくはGAFAM(Microsoftも含めて)の状況においては、ますます厳しい状況になりつつあるだろう。(Appleは、個人情報を集めるつもりはないと言い切っているが)

 

何が個人にとって恐ろしいのか?自分の情報が「忘れられない事」、一度自分とその情報が結び付けられてしまったら、それはネットの世界のどこかに存在し続け、情報として残り続けてしまう。忘れられない事になるという恐ろしさだ。極論すれば、一度しくじった、失敗したものは、立ち直れない可能性があると言うこと。

であるからこそ、プライバシーに敏感な人々、諸国は、「ネットから忘れられる自由」を権利として確立したいと願っている。

 

たとえばここ数年、日本で話題になる「不適切動画の投稿」だ。本当に何も考えていないものは顔も名前も出していたり、多少そうした危険性を意識して顔を隠して投稿をしたとしても、ちょっとした情報から地域や名前を割り出して、人物が特定されてしまう。結集した人々のパワーほど恐ろしいものはない。

こうした者は、当然その後の人生に大きな影響をきたす可能性が高くなり、就職にしても、経済活動にしても、様々な制約や条件を付けくわえられる可能性が低くない。たった一度の過ちやバカげた行為が、そこまで尾を引くような社会で良いのだろうか?

 

逆に言えば、忘れてはならないものを忘れてしまっている人々も少なくない。それは「政治家が口にした約束」というやつだ。「〇〇法案を通す」だとか、「××を守ります」といった口約束を選挙中は口にするも、当選すると手のひらを返したように別の政策や、公約を反故にするような行動をしている政治家がたくさんいるのはなぜだ?

ここでこそ忘れられない特性を使うべきではないのか?過去に約束された記録を掘り返して、「結果を出してきた政治家」なのか?「口約束を反故にしてきた政治家」なのか? あの知事、この政治家、あなたの周りにいませんか?