聞き方、聴き方

「どう、これいつまでにできそう?」

メンバーにこう聞いたことがあるリーダーさんや、もしくはリーダーにこう聞かれたことのあるメンバーさん、どちらもいらっしゃるんじゃないだろうか?

 

「できそう?」と聞いているけれど。これ実は答えるのが結構むつかしい。

単に可能性だけであれば、そりゃあやればできるでしょ(ただし、めちゃくちゃ時間かかりそうですけど)といった解もある。が、仕事に関しては、通常は締め切りのある事。だから、いつまでかかっても…という答えが聞きたいわけじゃない。ここで聞かれているのは「妥当性がある期間で、できるかどうか?」を聞いている。

 

これが分かっているからこそ、聞かれているほうは答えにくい。

「できるか/できないか?」の可能性であれば、なんとか…できるだろうとは想像できる。それがエンジニアや技術者というもの。想定される物事をいくつかパラパラと頭に浮かべ、対応可能かどうかをざっくり検討する。

だが、「いつまでに?」が入った瞬間に、

「できるだろう。まずまず問題ない時間の範囲内で…」

となれば、予想も立つから「〇日くらいかな」と答えが出るが、

「できる。ただ、めちゃくちゃ時間がかかる」

と言ったときに、答えられなくなるのだ。

 

これ、聞く方も聞かれる方も、可能性と、それにかかる工数を分けて意識できているかどうかという事。普通、聞く方は「工数」として聞いており、聞かれる方もそれで答えるのだが、たまーに答える側が「工数」ではなく「可能性」として答える人がいる。

 

できるかできないか?それが問題になる場合もないではない。 だが、多くの場合、出来る事を聞いてもフィットしない。そんなかみ合わないとき。

段階を追って聞こう。相手の答えが変わるのを待つのではなく、自分の聴き方を変える方が手っ取り早い。

 

まずなにをすれば良いと思う。

そのために取るアクションは?

それにどのくらいかかる?

それもうちょっと短くならない?

  

多くの現場、場面で、「正しい対応、コミュニケーション、アクションが取れる人」を欲する。けれどそんな人が増えないなら、それが取れるように受け手に投げかけることができるリーダーを育て、配置した方が、多分何倍も効率的ではないのか?

一人の有能なリーダーが育てば、それによって何人もの優秀な部下を育ててくれることにもつながるのだから。

インセンティブがないでしょ

残業規制しよう。そんな機運がここ最近高まっている。

総量規制をして、プレミアムフライデーを作って…等々、ど素人である私に言わせても、頭の悪い施策がいくつも打たれる。

 

残業をしなくなることによる「マイナスのインセンティブ」はあっても「プラスのインセンティブ」が何にもないのだから。

残業すると、割増賃金が出ている。すべては出ないという組織はあるかもしれないが、それでもいくらかは出るだろう。ただでさえ安く買いたたかれている日本の優秀な労働力。残業代で生活費を稼ごうと考えている人は何割かは存在するだろう。

 

適正な労働対価がいくらなのか?これだけで何年も議論できそうな題材だが、そもそもこれが、支払う方、支払われる方での意識のすり合わせが相当ズレて、かい離している現在の賃金体系自体が、労働者側の「残業」による賃金追加の防衛につながっている側面があるわけだ。

 

さらに、そうしたこれまでの環境面から、「残業して仕事をしている人」が「頑張っている人」という評価イメージが出来上がっており、それによる昇進、賞与への影響を考えると、到底残業など減らそうとは思わないだろう。(いいですか、あくまでイメージですよ。それを是正しようという力は働いているものの、様々な要因で効果が出ていないだけですから…)

 

そうはいっても、残業は減らそうと動いている会社はある。その多くは、そもそも残業などしなくても、規定範囲の残業代を給与に盛り込んで払っている会社の一部がそれらに成功しているように見える。残業してもしなくても、これまでの残業代込みで支払う。…となれば、急いで仕事をこなした方が当人には徳ではないか。

ただこうした企業の場合、結局早く終わった人には、「追加で」仕事を割り振ったりする管理職がいる。そもそもどこまでやれば今月分、今週分、今日分という計画自体がないため、早く終わった人がそのインセンティブを使いにくい環境にあると言えるだろう。ここから是正するのだから、染み込んだ悪しき習慣というのは根が深い…。

 

国策として本当に心底残業を減らしたいのなら、各会社の「残業時間に応じた税制」を作れば一発だろう。万一虚偽申告が後でバレたら、追徴課税すれば効果てきめんではないか。本気で残業を減らす…って、そういうことでしょ?

でやるのやらないの?正直、全然「減らしたい」ように見えないんですよ、私には。100時間規制?それ本気ですかね?まじでそれで減ると思ってる?効率的働きに変革されると思ってますか??

納得出来ないのはね

この世には、納得できない事がいくらもある。なんでそうなるの?それおかしいでしょ?

世間一般において腹立たしく思っていてもどうしようもないところはある。だが、自分事として判断するときに、自分で納得が行かずにモヤモヤすることはないだろうか?その判断を自分でしているにもかかわらず。

 

たぶんその大部分の原因は、こうではないかと思う。それは、「自分で自分がそこに持つ価値観自身を、きちんと理解していない、優先順位が付いていないのではないか」と。

 

自分が思う自分の価値観。ややこしいところ、微妙なところはあいまいにしがちだ。普段の生活でそこまで求められる場面もそうそうない。が、いざそこを突き付けられる事で、これまでしなくても良かった、先延ばしにしていた判断に迫られる。どちらを取るのか?どれを取るのか?複数の選択を同時に取れない事もある。が、時間もコストも限られる。どれだ?どっちだ?どの優先順位が高いのか?自分が分かっていなかったとき、自分で腹を決めていなかったとき、どちらに決めても、決めた後になって、「でもやっぱりあっちの方が良かったかも…」と意味のない泣き言を並べたり。

 

納得は、自分自身の価値基準、評価順序が理解できてこその納得。もちろん、そんなにスッパリ割り切れる人ばかりでもないだろう。ロジカルな人ばかりでもないだろう。が、決断とはそういう事。決めるというのは、どちらかがどちらかに勝るという判断をするという事。

納得とは、自分のその時の価値基準を明確にするという事。

責任を取りたくない人は、決断を誰かに委ねるよねぇ…。

「本物じゃない」価値

本物はすごい。どんな本物もそうだろう。分かりやすいところは芸術だ。絵画や彫刻など、その「本物」に接したときは、その圧倒的迫力や色使い、筆遣いなど、本や写真では感じられない、訴えかけてくる何か、を感じることがある。

 

だが、じゃぁ偽物はすべて意味がないか?というと、私はそうは思わない。

本物じゃない事で、気軽に扱えたり、みんなが手にすることができたり、複製がたくさん作れたりすることで、目に触れる機会が増えたりと、本物でないからこそのメリットが、これまたたくさん生じる事がある。本物では「成しえなかった事」が、偽物であるからこそできる事。それがそのものの価値。

 

要するに、本物が本物であるがゆえに持ちえない価値観、たとえば、繊細さや取り扱いの難しさ、希少性を全く裏返したところに、価値が生まれるという事。

 

だがこれにしても、要するに「…というぐらい大量にできたことで、別の意味が生み出された」と感じてこその意味。「なんだよこれ!ただの偽物じゃねーか!」と見下した途端に、気づける別の価値に気付けなくなる。

 

それぞれにはそれぞれの、その存在意義がある。それには「それの意味」がある。意味のない存在に見えている/なるというのは、意味や意義を見出すことをあきらめるからではないのか?

生み出せる価値なんていろいろあるはずなのに、頭が凝り固まっていては、気づけるモノにも気づけない。そんな物や人が、あなたの周りにも存在しているんじゃないですか?誰かが価値に気付いたとたんに、輝きだすはずなのに。

そう、じつはあなたが手にしている「それ」は、宝石の原石かもしれないんですよ。あなたが気づいていないだけでね。

もったいないもったいない…。

 

「目標」は「絶対」か

そろそろ年度が終わる。新しい年度が始まる。それぞれに目標を立て、仕事に、勉強に打ち込む。

 

会社などでの分かりやすい目標は、「売上〇億円」だとか、「シェア〇%獲得」といった数字で示すこと。学生であれば、「点数〇点以上」とか「〇〇資格合格」や「〇〇受験合格」。

 

もちろんみんな、すべての目標値が成功裏に終わることができれば、それほどめでたいことはない。が、考えても見てみたい。すべての目標が「すべて成功」に終わっているとするならば、経済であろうが学業であろうが、誰も苦労はしない。裏を返せば、「達成し得なかった目標」というのが、この世には多数存在し得るという事。

 

じゃぁ目標達成できなかったものはいなくなったり、死んだり、解散になったりするのか?もちろん、そうなるモノもあるだろう。…が、そうならないモノだってあるのだ。

だから、「すべての目標値」がクリアーできなかったからと言って、即、消滅や、死を意味するものではない。

 

ただ、あまりにその(守らなくても大丈夫という)メッセージが強く出すぎてしまうと、

「なーんだ、守らなくてもいいじゃん。」

と甘えが出る者が少なからずいる。だからハッパをかける。

 

ただ覚えておいてほしい。目標が達成できなかったからと言って、すべてが終わり「ではない」という事を。頑張ろう、でも、無理なものはムリ!