お金がもうかる話、使いたい話

ネットの海を巡っていると、それこそいろいろと儲け話が転がっていて。こうして儲かりました、こうすれば楽に収入が…などなどいろんな情報があちこちに。

 

こう考えてみよう。もしあなたがそんな儲かる話を知っているとして、それを誰かに教えたいですか?積極的に伝えたいですか?

…と考えればすべてが見えてくる。そうした「儲け話」はすべて「あちらが儲かる話ありき」の話。たいていそれに乗ると、良い面は強調するものの、悪い面はあいまいにしたり、場合によってはきちんと説明しなかったり。

その部分で嘘をつくのが犯罪で、正確だが非常にわかりにくく伝わりにくいのが金融商品、くらいの違いかなと言うのが、個人的な見解なんですけどね。リスクのない痛手のない儲け話が今頃「向こうから」持ち込まれることはないっしょ。

 

これのいやらしいところは、犯罪ばかりじゃなくて、「銀行さん」をはじめとする金融関係が含まれているところ。「皆さんにお得な定期」等が展開されているのは、そうしてそのサービスに入ることで、まず第一にその銀行が設けられる前提があってこそ。その上で、あなたの儲けがいくらいくらにというものでしょ。

本当のお金持ちだと、銀行さんの方からご自宅に訪問されて、新たなサービス加入をお勧めするなんてのも聞いたりする。がこれとて同じこと。銀行とお客の双方が儲かるか、もしくは銀行は手数料として儲かるけれど、お客はリスクをこうむることもありますよ、という商品がほとんどではないのか、と。

 

日本は景気が持ち直しているなどという新聞その他もあるけれど、私を含めた庶民でその意識を持っているのはいかほどか。そもそも今20代の世代は、「本当にはぶりが良い、景気が良かった日本」なんてのは経験したことがないはずで。バブル以降、さまざまな指標や数値を見せて、感情をあおろう、景気を刺激しようとしているけれど、もうそんな年率1桁%台の成長なんてのは、天地がひっくり返るようなことでも起きない限り想像できないのだけれど。

 

 

みなさん、お金使いたいですか?契機ってそういう事でしょ?

意識の方向

すでに4月も終わり、春の連休、GWが始まろうとしているわけだが。この1か月で、新人はいろいろとマナーやルールを叩き込まれてきたことだろう。早いところでは、すでに配属先に紹介されているところもあるかもしれないが、遅いところはまだまだあと何か月かは基礎トレーニングの時期なのかもしれない。

 

入ったその会社には会社のルールがあって、まだ右も左もわからないから、指示された通りにやるだけで精一杯。でもそれも半年がたち一年が過ぎ、3年もするとそれなりに仕事がこなせるようになる…というか、こなしてもらわないと困る会社がほとんど。

 

その一方で、今ある仕事のうち、3割から5割の仕事が、いわゆるAIに置き換えられることは確実視されていたりもする。すでに人は、機械やプログラムと勝負して仕事をしていかなくてはならない日々に突入している。そう、未来の話ではなく、今すでにそうなっている。

…となると、「言われた通りにする」ということしかできていなければ、当然そんな「単なる作業」はマシンやAIの得意中の得意。だから即刻置き換えられる可能性が出てくるという事。これにどう対処していくのか?

 

いや、今はいりたての新入社員に求めているのではない。すでに入社5年目10年目以上の中堅社員が今すぐ考えるべき事象だろう。もちろん、新入社員だって明日は我が身だ。何らかの心構えが必要になってくるはず。それはなにか?

 

いくつかあるのだけれど、その一つが「新たな仕事を作り出す」という事、意識ではないだろうか?もちろん、会社に入ってそのようなことをすぐに実行しろとは言わない。だが、これだけ、近い将来は機械にAIに置き換えられる可能性があるなら、それらでは価値を感じない、生み出せない事を自分がどのように生み出せるかを考え、邁進する事。

たぶん本来の企業のトップや、起業家たちの本来の仕事こそがこれだろう。そうして新たな仕事を生み出し、そこに雇用を生み出すこと。企業のトップは「儲かる」ことも重要だけれど、仕事を生み出すこと、という意識を現在どれだけ持っているのだろうか?またその意識があるのだろうか?

「儲ける」意識はあれど、「仕事を生み出す」意識が希薄であればどうなるか?というと、まさにブラック企業や、労働の搾取が生まれるという事に。労働者に儲けを分配するのではなく、企業という法人に儲けをため込む。内部留保の積みあがっている量を見てごらんなさいな。とすると、今の企業トップが何を考えているのか?は一目瞭然では?そりゃぁ、企業は発展するけれど、庶民の給与は増えず…になっても、笑えないでしょ?

 

あなたの街のあなたが知らない事

休日くらいはゆっくり寝かせてほしい。という方のほうが多いかもしれない。休日は、いつもよりも1時間多めに寝て、日ごろの睡眠不足を解消している人もいるかもしれない。

でも、たまには休日でも、いつもと同じくらい、場合によってはいつもよりも早めに起きて散歩してみると、今までと違った街並みを見るかもしれない。

 

今年の関東地方は、桜の季節は思った以上に長かったようだ。…なのだが、土日は寒かったり、雨にたたられたりと、平日休みが取れない人たちは、なかなか楽しみにくい天候だった。

そんなある晴れた日の朝。いつもなら出勤していく時間に、いつもと反対側、街並みを散歩する機会に恵まれた。

 

朝の散歩は気持ちがいい。自分の体が目覚めてくるような感じと、朝日が昇り、徐々に街並みも起きてくる感じと。そうした心地よさ、街自体の静けさから起きてくる時の音などすべてがすがすがしくも感じられる。

 

別に大したところではないものの、近くの公園などをぐるりと散歩してみると、早朝にもかかわらず体操をしている人、ランニングをしている人など、活発に活動している人もいる。

 

本当にぶらぶらと歩き回って、さてそろそろ家に戻ろうか…と帰路についたとき。そんな朝早くから、5、6人の人が列をなしているのを見つけた。何事か?と見てみると、どうやらパン屋らしい。へぇ、一般のパン屋で、このあたりに早朝から開けるパン屋があるのか…と珍しさも手伝ってそこを訪れた。別に昨日今日できたわけではない。ずっと以前、こちらを歩いていたときにその店があるのは知っていた。が、そこがこんな朝早くからやっているとは知らなかっただけの話だ。

特別奇をてらったパンが売っているわけではない。が、フランスパンの類など、「おひとり様1本まで」なんていう張り紙まで出ている。これは人気商品なのだろうと、それを手掛かりにそのフランスパンを購入。

 

家に帰って早速朝食に。と、これがやっぱり「うまい」んですよ。さすが街の人は良く知っているんだな。行列ができるくらいの店なんだなと改めて感心。

店が開いている事自体は、コンビニが24時間営業をやっているので珍しくもなんともない。けれど、昔ながらの家族経営でやっているような店が朝早くからやっていると、それは穴場になりえるのかな。

 

そういえば昔、子供向けの歌でこんなのがあったっけ。

朝一番早いのは、パン屋のおじさん♩

 

住んでいる街にしたって、まだまだ知らない事がいっぱいある。

興味を持って飛び込めば、楽しみ方は無限大だね。

 

合理的判断

そもそも、合理的判断を選べない人がいる。なさけや情が勝って、その選択肢を選べない。それが悪い…とは言わないが、結果的に、選んだ判断の結果が合理的に正しいと思った方向に進む確率は、その選択によって下がってるんじゃないだろうか。

 

合理的に判断するとは、ある意味、もっとも自身に都合の良い方への確率が高いもので、自分への影響が総合的にましなもの。

ただし、気をつけたいのは、そもそも、そうした判断のために使うべき情報が使えているのか?という事はあり得る。さらに言えば、判断のための情報、材料は、十分に入手できているのか、いたのか?

 

結局、今の合理的判断とは、今手元にある情報に基づいて、という前提があってこそであり、さらにそこに後から情報が追加されると、その追加された情報により、場合によっては判断も変わる可能性があるということ。

これは、将棋などのゲームにおける手数の探査の深さも同じことでは。5手先まででは良い手でも、6手先まで読んだ結果としては、それが最悪に評価されることもありえる。

だからこそ、決断者は多くの情報を求めようとするのだが、そもそもそうした情報が十分には集まらない環境だってあり得る。部下は頑張って情報を集め、上司はそれでは決断に足る情報が足りないからもっと集めろと部下にはっぱをかける。

 

だからなにかで制限をしなければ、際限がなくなることも。「この日までに集まった情報で」とか「この数を超えれば判断する」「これにまつわる情報をもって」といった制約をはめておくこと。でなければ、結果としていつまでも判断できなかったり、逆に正しく判断すべき情報が集まっていなかったり。

 

で、これを、情報を集める部下の側に、そして判断する側の覚悟として、きちんと徹底しておくというのが、大切なんですけどね。

 

 

 

 

Pokémon Goの落とし所

久しぶりにPokémon GOを開いてみる。

なにやら、セブンイレブンポケストップになっているなどという情報が流れているけれど、Ingressの際にもローソンが話題になったいたので二番煎じ。それでもPokémonは季節によっていろいろと話題を作ろうとする努力は認める。が、近所を見てみるとなにやら圧倒的な状況も。

場所に依るのかもしれないが、「カイリュータワー」があちこちに。すべてがカイリューや、CP3000以上のモンスターで占められたレベル10のタワー。もうこうなってしまっては、あぁ、ここはバトルは無理なんだなぁという諦めが先に立つ人が多数出るんじゃないだろうか?

 

今さらながらPokémon GOをやり続けている人がどれほどいるかという疑問もあるし、すでにオジサンオバサンしかやってねーだろとか。今から初めて参入しようとしている人もどれほどいるのか疑問だ。が、これに限らず、「参入タイミングを間違えると、二度とそれに入れない」というゲーム市場が存在するのではないだろうか?

 

ある意味、ゲームバランスの問題ではあるのだろう。投入直後からそれで遊んでいる人は、時間がたてば、より高度な事、よりむつかしいことができるようになり、その報酬(スコア)は高いものが求められる。だが、後からそのゲームに参入した人は、そうしたレベルの高い人の場にいきなり放り込まれても勝てる見込みがない。だから勝てない→面白くない。だからそもそも続かない、遊ばない…というネガティブスパイラルに入る可能性が高い。

 

長く遊んでいるユーザーには、長い期間ユーザーであっても遊び続けられるというインセンティブを。でも、新規ユーザーを開拓して対等に遊んでもらうためには、初期ユーザーにおいてもそこそこ遊べる、勝てる、快感を味わえるインセンティブを。この二つが真っ向から背反しない形でゲームワールドを構築し、バランスさせるのは、特にオンラインゲーム化された世界ではむつかしそう。何かうまい成功例ってあるんでしょうか?

 

一つは、そうしたレベルに応じたステージづくり。もう一つは、かならずそうしたバランスを保ったチームでしか参戦できないチーム活動重視のステージづくり。…くらいは思いつくのだが。

 

ことPokémonでは確かに、地方自治体において人集めの役には立っているかもしれないけれど、それにしても、新規参入者と古参ユーザーとの間を、バランスを取りつつ両社が共存し、両社がそれぞれに興味を持ち続けるという環境を作るのは至難の業だろう。

 

あらたなモンスターという種類を増やす以外に、遊び方、楽しみ方がもっと広がらないと。

…なんてことは、ゲーム業界の頭のいい方々が作っているので検討済みだと思われますが。でもこれ、社会システムも似た側面があるはずでね。

そもそも、小中学生のゲームじゃないんじゃない?Pokémon Go…。