変転

銀行に行く。番号札をとってしばらく待つ。待合場所には3人掛けのモスグリーンの長椅子がいくつかおかれている。初老のご婦人や会社の制服を着た女性、案外スーツ姿の人は少なくて、カジュアルな服装の方が多い印象の、そんな時間。

長椅子の横にはちょっとした雑誌なども置かれている。銀行だからだろう、投資や経済、お金に関する雑誌や簡易パンフレットのようなものが目に付く。

 

 

街の飲食店に入る。ファミリーレストランではない、昔ながらの定食屋。新聞と週刊誌、スポーツ紙程度が置かれているだろうか。昔ながらの漫画なども一通りおいてある。少し油を吸ったようなその紙が、置かれてきた時間を感じさせる。

 

 

美容室、もしくはこじゃれた理髪店でもいい。そこに置かれているのは写真週刊誌や婦人雑誌、ちょっとゴシップネタが多めの週刊誌もあるだろう。真剣に情報をとりたい場ではない。ちょっとした待ち時間、もしくはヘアダイを定着させる時間といったその間、時間をつぶすため、さしたる意味を持たない情報。

 

 

お医者さんや歯医者さん。その待合室で待っている時目に付くのは、子供向けの本が少しと、やはり週刊誌。ただ、あまりにゴシップばかりのものは目立たず、少々おとなしめ、AERAのような系統のもの。もしくは料理雑誌だったりもするだろうか。度派手なスポーツ紙は見当たらない。

 

 

 

その「お店」が「店内に置く物」を規定している、と考えるのがふつうだろう。だが本当にそうだろうか?いや、逆に考えれば、「そこに置く物」を変えることで、そこに来てほしい人、その場の雰囲気といった「その場」を規定して行くことはないだろうか?

 

スターバックスにおいては、世間一般のWindowsPCの普及率とAppleMacBookの普及率から考えると、明らかにApple MacBookを見かける率が高いのはなぜなのか。いや、WindowsのノートPCを使ったところで、どこからか文句が出るもんじゃない。が、明らかに世間とは比率が違う。

少し落ち着いた濃いグリーン、コーヒーをイメージさせるような濃い茶色を基調とした色使いは、落ち着いた空間をイメージさせる。小さな子供が声高に走り回ることもないし、そもそもそういう子供連れは、近づきにくい空気を感じているだろう。

もしもここを、原色に近いような赤や黄色の色遣いに変えれば、それはそれで客層が変わることにつながるかもしれない。逆のことを、高級店施行を目指す店舗を作りたいマクドナルドはやろうとしている。だがどうしても詰めが甘かったりする。椅子が長居を拒否させていることに気づかなかったり。

 

良く流れている音楽や映像もそうでだろう。歯医者ではクラシック?定食屋ではテレビ?美容院ではFM?だれが決めたわけでもなく、そうしたステレオタイプがまかり通る。

それに乗ることで、それまでのイメージはたやすく保てるかもしれないが、反対に、それまでのイメージを打ち破ることは難しい。いや、どちらが良いとか悪いというつもりはない。その根本の「どうして行きたいのか」があってはじめてどうすべきかが決まる。

 

 

この人だからこういう服装をしているだろう。あの人はいつもあの話題ばかりを話しているだろう。たぶん多かれ少なかれ、人々は誰かにそういうイメージを持ち、誰かにそういしたイメージを持たれている。そうしたパターンに当てはめること、形をそろえることが、誰かを理解するためのツールでもあるからだろう。

 

だが変わりたい人もいる。変えたいと思っていても変われない自分がある。そうそう簡単に自分の内面が変わることはないし、変えたくても変えられない。

そうした内面を規定しているのは、内面もさることながら外見からくる印象が大きく左右することもある。いつもいつもカジュアルなジーパン姿しか見せない人が、突然スーツにネクタイをすれば、間違いなく印象は変わる。いつもスーツを着ている人が、たまたま休日のカジュアルルックの日に出会うと、その人だと認識できなかったりする。

 

すべての変えられないもので何かが規定されているわけではない。何か一つの要因だけで、それが決めっているわけでもない。すべての要因の組み合わせの妙が、その人や物、その役割、その場に集う人たちをも規定していく。変えられないもの、変えられるもの、その組み合わせでそれらが決まってくる。

 

なら、変えられないところがあったとしても、変えられるところを変えれば、組み合わせが変わる。その新しい組み合わせは、今までとは別の印象を与えたり、別の切り口を紡ぎだすかもしれない。一つ変えても大きく変わらなかったのなら、二つ、もしくは三つ変えてみればいい。もしかするとそうして変えてみること自体で、自分自身が変えられないと思っていたことすら変えられることに変化する可能性だってなくはない。

 

変えられないと思う心が、変わることを拒んでいる。

変われる、いつでも変わっているということをきちんと理解することができれば、変わることも、変わらずにいることもできるかもしれない。

いや、逆に、変わりたいのに変われないといっているのは、本当には変わりたくない証拠なのかもしれない。