本質の所在地

お子さんをお持ちの方と食事を一緒にする機会があった。実はそれは食事ではなく、デザートが目的の集まりだったのだけれど、それはそれでまた別の機会に。

 

そこで話題になったのは、子供とテレビの話。

 

お一人はまだ3歳くらいのお子さん。当然ながらテレビの仕組みなどは知る由もない。

ご家庭で、両親がタブレット端末を使っていることもあってか、彼女はテレビの画面に「タッチ」しに行くという。「スワイプ」しようとしたりもするらしい。(将来のテレビUIはもう決まりか?笑)

さらに見ている番組がCMに入ったら、「CMを飛ばして」とお願いする。それが興味のあるコンテンツなら、一つ終わるとまた次を、と、どんどんそれに関する別のコンテンツが見たいと要望する。生放送かどうかなんて知ったこっちゃない。「もっと、もっとぉ」。見たい時が見れる時…じゃないの?という欲求そのままの反応。そして、そういうコンテンツがHDDやDVDとして準備できる、という現在。

 

もうお一人は、すでに小学生のお子さん。

さすがに“テレビ番組”を見ているのか、“録画番組”を見ているのかは理解できる年齢だけれど、番組の「見方」が違うという。

そもそも、最近の子供は習い事もたくさんあって忙しい。私が子供のころなら、平日夕方は「子供アニメの時間(再放送含む)」だったけれど、今の番組構成がそうなっていない。そもそも今の夕方の時間は、子供がテレビを見られるような環境ではない、というような事が影響しているであろうことは想像に難くない。

であるなら、子供たちはどうやって番組を見るのか?番組放送時間に生放送を見る、というケースは多分少なく、(データを取ったわけではないので想像の部分はあるのだが)かなりの場合は、録画された番組を見ているという。こうなると、「番組」に対する認識の仕方が変わる。

 

 

VHS全盛の時代までであれば、それでも見たい番組は「月曜夜9時からのあの番組」とか、「水曜夜10時のあのドラマ」といった認識があったかと思う。そして、その時間に番組を見るか、その時間を(苦手な)予約録画をしてあとで見るという形。リミットはVHSカセット1本分の週に約6時間。

 

ところが、最近の録画機の性能向上も相まって、キーワードを登録しておくと、それに引っかかるものはことごとく録画したりもするし、気に入りそうな番組は、「次回から毎週録画」としておけば、ほぼはずさずに毎週録画し続ける。放送されている時間帯は、すでに局だけの都合であって、見る人の都合にはさほど影響を及ぼしていない。

こうなると、見る方は“その番組がいつ始まるのか?”という開始時間の意識が薄れてくる。そして、その録画された番組を“いつも自分が見ている時間”のころには、そこに録画されているよね、という認識程度に変わる。

“自分が土曜日の午前中に見るころには録画”されていればよいのであって、それが木曜夜9時に放送されていようが、金曜深夜1時に放送されていようが、関係ない。いつも見る土曜日には貯まっていてくれる、という認識で十分なのだ。

 

たぶん未だにテレビ局側は、番組編成といった形で「何時には何を放送して…」「この時間帯はこういう番組構成で…」といった編成作業が重要な仕事の一つなのかもしれない。その時間枠によってスポンサード価格に高い/低いがあったりするんだろう。

しかし視聴実態として、すでに見る方が「見たい番組を編成」し始めている。一部のニュース番組、Liveであることに価値があるスポーツ番組は、「テレビ」として=生放送番組を見ることがあることもあるだろうけれど、その他の番組の編成権は、すでに“視聴者の手に渡りつつ”ある。

昔から、視聴率がどれほど“本当にその番組を見ている視聴者数を正しく類推できているのか?”という命題は出ていたのだけれど、録画機器がスマートになり、広く使われ始めることによって、もうそれが無視できない時代になりつつある。

 

最近は、以前では考えられなかった、「まだ見れていなかった人への再放送」といった形で昨今のドラマが、一週間に2度放送されるということもある時代。

しかしそうした“時間を埋める”という事が目指す視聴者ターゲットは、そうした録画機器を持たない人に対するサービスでしかない。そのユーザーは、機器の発展、浸透、普及により、確実に減り続けることだろう。

今後、放送されている番組がすべて録画されるような世界になったとき(すでに一部では実現されている)、「すべての時間を埋めるコンテンツを作る実力が、その局にあるのか?」が、ストレートに問われる、いや局がコンテンツを作る意味、技量すら問われ始めるんじゃないだろうか。

 

そのテレビ局は、いったい何を提供してくれるんだろう?そこは今後もその同じものを提供し続けられるんだろうか?テレビ番組が、「テレビ局」を通じて流れている意味、とは何になるんだろう。