食べごろ

もうイチゴの季節は終わりだろうけれど、これから夏にかけても、さまざまなフルーツが出回る。今からはなんだろう?早いところでは、もうスイカなんてのも出回り始めていたりするみたいだし。さくらんぼはこれから?かな?アメリカンチェリーは見かけた気がするが。国産のさくらんぼは佐藤錦なんて品種があるけれど、アメリカンチェリーなどと比較すると、強烈な甘さというよりも、甘酸っぱさを楽しむ傾向があると聞いたことがある。

 

私はそうしたさくらんぼをはじめとする果実農家のことは全く知らない。だが店頭での説明書きなどを見たところによると、きちんと糖度計をつかって甘さを測って出荷していたり、工場の側で、光測定などで糖度を測定して、甘さを保証するシールなどを貼り、すこしでもおいしさをアピールして、購買してもらおうと頑張っているのも見えたりする。

 

糖度計も日に日に進化しているんだろう。そもそも「糖が含有されることによってその液体の光の屈折率が変化する性質をもとに糖度を測定する」ところからはじまったようだ。であるがゆえに、どうしてもその果実の果汁を必要とする。そうなると少なくとも1つの商品(果実)を抜き取り検査して、試料として使わざるを得ない。もちろんそれは、売り物にはならないだろう。

 

 

果実のように、一つの苗や一本の木から多くの果実が取れる場合には、それでもまだよいのかもしれない。たくさんの実のなかには、すでに虫がついてしまったようなものが一つ二つはあるだろう。そうした一つを選んで試料にすることでも、十分に検査はできそうだ(が、実際にどうしているのかは知らない)。

 

しかし、そもそも結実する数が少ないようなものは、ひとつひとつその糖度を測る(傷つける)わけにはいかない。となると、直接果汁をとって糖度を測る“以外の方法”で、その果実が最もおいしい時期を知り、出荷することが、その商品価値を最高に高めることになり、とても重要な技術となる。いわば非破壊検査方法を確立できるかどうか(たぶん種類によってはそういう手法も開発されているんだろう)。

 

分かりやすい事例?かどうかは分からないけれど、私が聞いたことがあるのは「完熟マンゴー」。大きく実を結び始め、そろそろ熟れごろ、食べごろになるという少し前に、一つ一つの実にネットをかけて準備する。一つ一つ丁寧にネットをかけ、熟して自然に落下しても落ちてつぶれないように、対策をほどこすのだ。そして毎日それを一つ一つ観察。本来なら熟れて地面に落ちて(形が崩れて)いるはずのものが、ネットに引っかかっているもののみを、「完熟」として収穫し、出荷する。(と簡単に書いたけれど、これはこれで、このあとに素早い流通網が整っているからこそ、完熟マンゴーがその価値を保持したまま、即市場に供給できるというバックボーンが整っていてこそ、成り立つんだけどね。)

他の果実にもそうした技術やノウハウがあるんだろうけれど、もしかすると人の感にたよっているものもまだまだ残っているのかもしれない。

 

 

 

作る側、売る側、買う側、それぞれに技術があり情報がある。が、それぞれが、それぞれのもっともよい時期、もっとも欲しい時期を知っている…とは限らない。

 

果実として見栄えや生食でおいしいだろうという事は知っていても、新進気鋭の料理人に、新しい食べ方を教えてもらって開眼することだってある。「完熟」に価値があるだけでなく、少々青い時期のものでも、その歯ごたえと清涼感が価値を持つ果実や野菜もあったりする。

上記のマンゴーであっても、そうした流通網が整っていることを知らない限り、8割がた熟成した物を、流通経路にかかる時間を計算して、店頭で熟成させるという手段をとってきた時期もあっただろう。今でも、青いまま船積みされ、日本に到着するころに、黄色く色づくバナナのように。

果実に限らず、野菜も、肉も、魚も…、美しく収穫する方法、長期間保存する方法、長距離を輸送する方法、美しく店頭に並べる方法、おいしく料理する方法…は、ノウハウがたまる階層は違うところにあるだろう。

 

 

 

ならば、「その人の価値」も、たとえば人を育てるところから基礎を仕込む方法、事業の応用に長けている人、展開力に力を発揮できる人、横展開はお任せだという人、業界統一は任せろという人などなど、“今あなたが従事していなくても、他の階層から見たあなたの実力が、とても価値がある”と感じている人や組織はあるかもしれない。あなた自身が、市場におけるあなたの価値を、理解していないかもしれない。

そしてそれは、そういう市場からの目に晒されてこそ、価格が付くもの。本当に「その人を手に入れたい」と思うたくさんのバイヤーの目に晒されて、初めて価値が確定されるものかもしれない。

 

食べごろは、食べられるもの自身だけが決めるものではない。