自分

今でも多分いるのだろう。自分とは何なのか、自分は何ができるのか。自分探しを始める人。人によっては旅に出てみたり、本を読み漁ってみたり、バイトに精を出すなんて人もいるだろう。あまり勉学に精を出すという人を聞いたことがないのだが、別にそれでもいいと思うのだけど。

 

で、そうした結果「みつけた!」という人の話、少なくとも私は聞いたことがない。あなたの周りはいかがだろうか?

見つけに行って必ず見つかるなら、誰もが必ず見つけに行くだろう。でもそうなっていないところを見ると、必ず見つかるものでもなさそうだ。

 

見つけに行く、というのは、何かどこかにある正解を発見しに行くような響きに聞こえてしまう。が、“そこ”にあるんだろうか?なにか、どこか、誰かが与えてくれるという場所を探しに行くのだろうか?

 

これは仕事のやりがいみたいなものとも通じるところがあるような気がしている。

やりがいって、与えられるものだろうか?

とくにここ20年ほど、日本はデフレで給料は安くなっていく一方。でも仕事自体はたいてい厳しく、きつくなっていく一方。そんな中、「やりがいが感じられない」といって、仕事を辞めるというシーンもあっただろう。たしかに、そういう職場もなくはない。けれど基本的にやりがいは、「口を開けて待っていれば、親鳥が運んできてくれる」ようなものではないと思うのだ。

 

自分の価値を作るのは自分。自分のやりがいを作るのも自分。自分の自分らしさを作るのも自分。たぶんすべて自分の言動、行動が、自分を作り出すだろうし、自分を形作っていく。もしもそこがつまらない場所なら、詰まる場所に自分で変えるのも自分。いくら努力しても変えられないなら、あきらめて他の場所を探すのも自分。いやいやあきらめて、でも動かない、ずっと我慢し続けるというのも自分。

他人が何かするように待っている…ではなく、何かさせるように仕向けるのも自分。何が必要なのかを与えられるまで待つのではなく、必要なことを探し出すのも自分。

 

過去の自分が今の自分につながっているのであり、今の自分が5年後の自分を作っていく。

 

どっちを向いているか、どこに向かって一歩を踏み出すのか。それともただじっとしているのか。