考えている事を表現する

中学生になった時、あなたはきっと、小学生の時よりは、複雑な事象を扱えるようになっていただろう。

高校生になった時、中学では意識しなかったようなことを、考えられるようになっただろう。

大学生になった時、高校までとは全く違う考え方、経験を積むことができただろう。

大人になって働き出しても、社会や仕事でさまざまな経験を積むことにより、考え方は変わり、簡単なことからより複雑なことまで、考えられるようになってくる。

 

 

そんな中、語学としての英語が求められる現状がある。

子供のころなら、そもそも考えていることそのものがそれほど高度でもなく、ややこしい事もない。外国語が素直に身につくだろうし、それをベースに、思考形態がそこを源に発展することもできる。複雑な関係性、構文などが不要で、子供時代なら楽に習得できる外国語も、大人になってから学ぶそれは、そもそも今の自分の考え方、事象を表すほどの複雑性をすぐには扱えず、戸惑ったり、いらいらしたりとすることも。段階を踏み、それなりの言葉が口をついて出てくるようになるには、やはりそれなりの時間がかかる。大人になってからの外国語習得が難しいというのも、そうした、すでに獲得した複雑さ、考え方、事象をつかってアウトプットしたいというイメージと、でもそれをうまく操作したり、扱うことができない外国語としてのいらだちのギャップにさいなまれる。

 

ある意味、恥知らずくらいの方がいいかもしれない。

自分勝手な方がいいかもしれない。

それでも、伝えたい事さえあれば、必死で話すだろうし、相手もそれを察して、聞いてくれる。ネット越しのそれと違い、面と向かってのコミュニケーションというのは、案外と伝えたいことを伝えてくれる。

 

言語を習うことを第一義としてそれを使って話していくということと、話したいことのために言語を習うことでは、まさに、目的と手段が入れ替わる。今、多くの日本の企業においては、言語を習うことが手段ではなく目的化しているように見える。まさに昇進のための目的。

本当に強くなる、本当に海外に出て席巻していこうとなるのは、きっとそれを手段だと認識した人が増えた時だろう。

 

目的や目標があいまいでは、そもそも到達できないことが少なくないのは、どこでも同じこと。それだけ、日本語以外の外国語を、手段として必要としていなかった国だったのだから。