世の中、情報を食って生きている

映画評論家という職業がある。

小説書評なんてのを参考に、本を手に取ることもある。

ドラマは世間の盛り上がり、今からでも間に合うなんてので見どころをギュッと凝縮しているものを参考にすることがある。

 

何もそんな情報を手にする以前から、その映画を見たり、その小説を読んだり、そのドラマを見たりしてるよ。

そういう人であったとしても、それは、映画の監督名や、主演者、小説の著者、ドラマの主演俳優という情報をもとに、これなら面白いものになりそうだといった判断を下して、それを見たりする。

 

音楽でもそうだろう。演奏者や歌手の名前を筆頭に、今まで好きだったあの歌手の、次の作品を手にしようとする。時に友達が聞いているものを参考にしたりする。

「ジャケ買い」なんてのもあるし、それはそれで当たり外れの意外性があって楽しいけれど、たいていは「以前の情報」を元に判断している。

 

そういう意味では、昔ほど、突然、交通事故のように新しい曲に巡り合う機会というのは、減りつつあるのかもしれない。

いや、ネットを介して、Youtubeを介してみているかもしれないけれど、それすら、「この映像を見ていた人は、これも見ている」という情報を参考に見ていたりする。すでに「情報」に絡め取られ始めている。

 

まったくなにも参考にせず、まったく出会いがしらに音楽や映像、小説に出会うなんてことは、どんどん難しくなりつつある。

 

 

それは、はずれが減ることになる。それは、効率よく心地よい世界に引き込んでくれる。

でも逆に、それは、突然変異を生みにくくなる。全くの違う交わりを避けるようになる。

 

人は情報を「食し」、システムは情報を元に次の確度の高い情報を生み出す。そして情報が次の情報を生み、商売を効率よく回していくことになる。

 けれどどこかでイレギュラーがないと、計算外の出会いがないと、それは大きく変異していかない。

 

効率だけを追い求めたって、やがてつまんなくなるだけさ。

踏み外せ、たまには。

非常識だと笑われるくらいなんだよ。

違うことをしないことには、新しさなんて始まらない。

「理解されること」が正解ではないことだってある。だって今までにはない事なんだから。

「理解されないこと」が、誰かに理解され始めた瞬間、ゾクゾクするんだぜ。