ゆく音の流れは絶えずして、しかも同じ音に非ず

ゆく音の流れは絶えずして、しかも同じ音に非ず

 

テレビやラジオのディレクターやプロデューサー、ミュージシャン…といったような、音楽を飯のタネにしているような特別な人はきっと別なんだろうと思うのだけれど、そうではない、いわゆる大学を卒業して仕事につきました、という人たちの多くは、その人たちの音楽史が、その人たちの青春時代、たぶん15から22歳くらいの6、7年で形成されたものであることが多いのではないだろうか?

 

会社で働いている時に、小さな事務所なら別かもしれないが、たいていはラジオなど流れていないだろう。また今どきは、音楽番組も数がめっきり減った。テレビでもラジオでも、純粋に音楽を味わうチャンスが減っている。

 

CDの売り上げが減っているとも言われている。これはレンタルの台頭もあるだろうし、コピーの出回りなどの影響も少なからずあるのかもしれない。アーティストの側はというと、ライブやコンサートといった生でのふれあいに重心を置き始めている。これはもう10年ほど前から予想されていた傾向ではあるけれど。

ただし、そうして聞きに来ている人々はというと、新しいところでそうした音楽を知る機会自体が減っているのだから、昔からのファンか、口コミなどを中心にした人であることが少なくない。大きな広がりになる機会は、以前よりもめっきり減っている。他にはCMソング、ドラマの主題歌といったあたりがやっとだろうか

 

であるがゆえに、音楽の傾向が20年ほどのサイクルで回る。

これは、社会に出て20年もたったあたりで、ようやく仕事で主導権を取れる立場に立った者たちが、自分たちが学生時代、まさに自分たちの記憶に深く刻まれた音楽を、あの自分たちを盛り上げてくれた音楽を使おうとすることに端を発する。

もちろん、そうではないものもたくさんあるのだけれど、いかにもというサイクルで、リバイバルがかかる音楽も少なくない。

 

そうしていくつかの流れの中に、昔の流れが再び織り込まれながら、音楽が変遷していく。

それさえも打ち壊してくれるような、新しい力、流れを見出したくて。