空気を読む個性

世間はどこもクリスマス気分らしく、どこへ行っても人だかり。年末気分、年の瀬気分とでもいうのだろうか。

景気が良さげな人たちも多いのだろう。家族そろってとか、恋人同士でといった雰囲気の人たちが、にこやかに歩いているというのは、混んでいるという事実を除けば、まぁさほど悪い景色ではないのだろう。

 

 

日本では、空気を読むなんて言葉がある(英語にはどうやって訳すのだろう?)。その場の周りの反応をチラチラと見回して、その周りの態度、周りの振る舞いに合わせた行動をとったほうがいい、といった意味だろう。

言い換えればその場では「個性を殺せ」「独自色を出すな」と言うこと。周りに合わせよ、一人違いを発揮するなということだろう。なぜそうした行動を求められるのか?集団として一つの方向に動く、一丸となって動くには、まことに都合がいい、扱いやすい振る舞いだ。

 

 

場面変わって職場や学校、開発現場で。個性を伸ばす教育だとか、各々オリジナリティを出さねば生き延びていけないなどと煽り、尻をたたき、何とかアイデアを絞り出させる。

一丸で動いていてはやばい状態、次の状況を見回して、どこに仮足を伸ばすべきかを見極める。一丸で行ってはいけない。すべての延ばせるべき方向に足を延ばし、確かめなければならない。

 

いったいどっちなんだ?と思う。

単に都合よく使い分けろ、それこそ、その場に合わせて空気を読めと言うことなのだろう。まさにその場を仕切る長(おさ)が仕切りやすいように。

 

 

ブレーンストーミングという手法がある。どんなに無謀なアイデアでもいったんは受け入れ、とにかく細かな違いであっても、浮かぶアイデアをすべて吐き出させる。まさに発散させる。

そうしてその中からより良いものを皆で選び、いったんそれに決まったら、今度は皆で一丸となって、それで行くこととする。収束させる。

 

 

個性を出せとは言うけれど、チームで動く場面において、いつもいつもずっと個性を出し続けられても困るのだ。

だが、アイデアがないときには、いろんなアイデア、個性を発揮して、さまざまに考えをめぐらせることができる才能を持て。

単純に言えばそういうことだろう。

 

ずっと個性的でいてくれということではない。

ずっと従順に空気さえ読んでいればいいわけでもない。

 

そのためには周りをよく見て観察し、考え、場面に応じて何が必要か考え続けなければならない。そしてその場面、その時に応じた行動を選択し、行動する。

空気を読めとか、個性的になれとかいうけれど、そんな位置側面だけではなく、ずっと考え続けること。考え続けること。

 

考え続けること。そして、決断して行動に移せること。