くくり

まだ幼かった私には、その構造が分かっていなかった。

ヨーロッパ、フランス、パリ、ロレーヌの違い。
日本、東京、世田谷、下北沢の違い。
いわば、どのくらいのくくりに対しての名前なのかが良くわかっていなかったのだ。

 

今となれば当然わかるモノの、いったいどこでそうした括りの違い、規模の違いを認識するのだろう?

「家」だろうか?
僕の名前は○○、うちは△△家、親戚は△△一族。でもそんな関係性は見える形になっていないので、そもそもおじさんおばさんとの関係性なんかを含めて、理解されたのは結構あとかな。

「動物」だろうか?
家に犬を飼っていたりすると、うちの犬はポチ。だけど隣の家はシロ。犬の種類も違う。見た目は当然違う。でも犬。猫とは明らかに違う。こっち側は犬。

…と思ってみると、「図鑑」だろうか?
昆虫図鑑でも、動物図鑑でもいいけれど、見た目が似たようなもののくくりに名前がついていたりする。こっちの象はインド象。こっちの象はアフリカ象。でもどちらも象。

 

実は、「括り」が理解できることにより、物事を塊り(チャンク)でとらえる/認識することが可能となり、頭の負担を減らすことができる。とっても効率の良い方法なのだけれど、それを知らないうちは、ぜーんぶ個別に理解しなければならない。

…と考えると、実はそんな基本的なこと、簡単なことだけれど、その理解、手法を意識したうえで使うのと、そうでないのとでは、実は効果が違ったりしないだろうか?

道具が人を作り、人が道具を作る。
良い道具は高いことも少なくないけれど、でも、本当にいい道具は、コストパフォーマンスがいいんだよね。