そんな議論じゃない可能性

盲導犬へのひどいいたずらや、目の見えない方への暴力が取りざたされる昨今のニュース。ひどく悲しい…なんてありきたりの言葉すら口にしたくなくなるくらい。

自分がそんなに模範的、道徳的だとは思っていないけれど、それでも、あぁひどいなという思いくらいはもっている。

しかし、そんな表層の現象のみをとやかく言っていたところで、根本は何も変わらないような気がしている。

 

上記の事件の犯人が捕まったわけでもないし、どのような思いでそういう行動にいたったのかは知らない。なので、別に特に擁護するつもりもない。

しかし、もしその人たちも、社会的に弱い立場に位置する人たちだったとしたら?と思うと。

 

失われた○年といわれたり、不景気の時期が長々と続いた時期があったが、1年半から2年ほど前から、徐々に景気が上向いてきたのではないか?と言われ、アベノミクスだなんだともてはやされた。個々に景気が回復した人、まだそこにはいたっていない人、どちらもいらっしゃることだろう。しかし、あまりに前の期間が長すぎた。社会が傷みすぎた気がしてならない。

仕事は効率化が求められ、常にギリギリ、カツカツで回っているところがほとんど。どこも人が足りない(でもお金はそれ以上に足りないから現状のまま)なんて状態で回っている。誰かに何かを施すとか、助けてあげるという行為が躊躇無くできるためには、それ以前に自分に余裕が無ければできないこと。その余裕がどんどんと削られすぎてやしないか?

当然、それらの結果は、最も弱いところに現れる。ウィーケストリンクとして、鎖の最も弱い「輪」が切れる。すべてが等しく弱いのなら、そもそもそこまでギチギチと搾り取られない。でも一部はとても強固で、その反面、弱いところはもう今にも崩れそうとなってしまったら、そこから全体に脆弱性が広がる。

 

一部の悪党として片付けるのは簡単だ。でももしもその根源が、社会全体に根ざしているとしたら、それはとても恐ろしい始まりの予兆でしかないのかもしれない。

取り越し苦労だといいのだけれど。