制約こそがエンジン

台風がいくつも襲来しているけれど、着実に秋が進みつつあり、晴れた日は絶好の行楽シーズン。

そんな中、もし、遠足のおやつの制限が300円ではなくて、なにを持ってきてもOK、いくら持ってきてもOKなら、みんなあんなに狂喜乱舞(w)しただろうか?

 

300円(に限らないが)、こうした制約があったからこそ、「なら、その範囲で、ベストな組み合わせは何か?」とか「この範囲で何を買うべきか?」なんてことに頭を回す。その楽しさ。
自分のチョイスしたものと、友達のチョイスしたものの違いのおもしろさ。別の友人の、あぁ!その手があったか!という発想など、そこからいろいろ想像したり。


別にこれ、遠足のおやつに限らない。月の小遣いの範囲で何を買うかももちろんそうだし、家計の中で、いつ新しいテレビを買おうかなんてのも同じ。お金に限らす、お弁当は「お弁当箱」というサイズの制約があり、夏休みは(たいてい)8月いっぱいまでという制約がある。
仕事ももちろん同じ。このプロジェクト予算で、このメンバーで、このスケジュールでどうやってやるか?

 

制約があるからこそ、それに答えるために創意工夫を尽くし、努力し、そして場合によってはそこから新しい技術が生まれたりもする。なにもなければ、いつまでやっていてもいいとなれば、それはいつたっても決して終わらないし、工夫するモチベーションも働かない。

 

制約といかに付き合うか?それを見方にするも、敵に回すも、あなたしだい。