情報と力

インターネット以前なら、情報を発信する力こそが「力」だった。

それゆえに、そうした力がむやみに振り回されないために、メディア規制のような力がかかっていたところもあるんだろう。

 

けれどインターネットがこれほどまでに普及し、それが使いこなせるようになったこの10年ほどで、「情報を発信する力」が「力」とは言えないほど、普通のものになってきた。誰もが、自分一人でも「情報発信ができる」。高校生が、自分の登校状況を報道することだってできる。小学生が、ニュース番組の真似事だってできる。

こうすることにより「発信する事」に「力」があると言うのではなく、「発信される内容そのもの」に「力」が認められることに収斂されてきた。

 

だがまだ、ネット発信の番組は「下」に見られている。面白いものもあるのだろうけれど、見つける手段が少なかったり、見る人の人数がまだまだ少ないのが現状だ。
だからと言って、ネット発信の番組の中身が「下」であるとは思えない。実際地上波のテレビではけっして見られない優良なコンテンツが発信されていることもだんだんと増えてきた。
そして、そうしたコンテンツがメディアの勢いを決める。昔、映画を凌駕してきたテレビのように、もしかしたら数年先にはネット番組がテレビを凌駕するかもしれない。

ただし、映画がテレビになる際には、「量(テレビ局の数)」がそれほど増えないことで、個別に稼げる規模は大きいままだったけれど、ネットではその数が爆発的に増えることで、「単体では儲からない」と発展するインセンティブが働きづらい状況が続くだろう。

 

それでも、グロスで考えれば、たぶんここ10年でネット番組は大きく発展するだろう。そこでの中身が勝負となり、それに耐えられる簡便且つ効率的システムを構築できたところが、徐々にのし上がっていくだろう。