賛同しか許さないとするなら

反対できない社会は怖い。反対の「意見」を表明できないとなったら、それは恐ろしい。

 

いやしかし、意見を表明する方からすると、反対されるのは面倒だ。
だからかどうかはわからないが、同意、賛同、共感、いいね…が横行する。嫌な気分は避けたい。良いところ、いい気分でいたい。
 
仕事をやっていると、いろいろといいこともある、が失敗もする。優れた組織は、「その失敗」を糧にし、学ぶ。他の経験していないチームでもそのデータを活用し、同様の失敗をしないようにする。事前に対策を打つ。組織で対応を考える。そうすることに価値があるから、「失敗」に価値を見出す。
 
「良いところ」はもちろんいいのだ。それはキープし続けてほしい。
だが、良いところ「しか」見続けないのは、それは非常に危うい。そこばかりを評価しているだけでは、極端に言えば、成長はない。
 
賛同の声はいいことだ。それを上げる事すら以前は苦手だった所からすると、以前よりも成長しているのかもしれない。
だが、そうしたところはもう一歩成長しないと、それは批判を受け入れられる土壌を醸成しないと、それこそ単に褒めあうことしかできない愚かな集団に成り下がりかねない。痛い事を克服してこその成長。痛み無くして、次のステップはあり得ないのではないか。転ぶことを恐れて歩くことを怖がっていては本末転倒。
 
だから、毎日辛いんだけどさ。