わざわざ、という感覚

SNSにコメントを書いたり、投稿したりする人としない人。

世代によっても差がありそうだ。
世代による道具への慣れもあるだろう
わざわざ私がと思う人もいるだろう。
 
でも、多くの人が、(自分の事は棚に上げて)他人のことは知りたいと思ったり、誰かはどうしているだろうと、気に掛けてる誰かの近況は、知りたい。自分の事は開示せずに…。
 
ある意味で、それを習慣化したものが年賀状であり、多くの場合は、当たり障りのない一言コメントを添えて、場合によっては印刷そのままでやり取りする。
 
そして今は、それすら廃れかけている。
手紙を描いて、切手を貼って、ポストに投函すると言う「わざわざ」感。
それに対して、スマホを開けて、ちょっと前ならメールで、今ならLINEでチョコッとこめんとすれば、すぐに相手に届いてしまう。
 
「今」が知りたい事ばかりではないし。「近況」でもいいはずなのに。
相手の事はすぐに情報が欲しいけれど、自分の事はめんどくさくて。
この非対称性を解消するメディアや道具…
…てなものを探すのも大切かもしれないだろうけれど、それにも増して、対照的欲求を持つ相手やグループに属する事が大切なんだろう。
でも結局「非アクティブ」という対称性で世間が落ち着き始めているっつーのがねぇ。
面倒くさい人が増えているのかなぁ。