今、全ては対処療法かもしれない

真の理由を突き詰める。言葉で言うのは簡単だが、真理を追究するのは大変だ。研究者は、その人生をかけて、一つの真理を追究する。何か見えた…ら、実はその奥が見え始めることもしばしば。

 

だからと言って、じゃあみんながみんな、いつでも真の理由を求めているか?というと、そうとは限らない。どうしても見かけの対処、見える事象、分かる事象に対しての、対処療法で何とかしようとする。

 

頭が痛いと頭痛薬、おなかが痛いと胃腸薬、熱が出たら解熱剤…と、まことにわかりやすく、「その事を抑える」ための処方を探す。

今更言うまでもなく、そうした信号は、なにかまずい、おかしなことが起こっているというシグナル。それに対して、そうした素人判断で処方されるいくつかは、何かがまずい、といった「信号を遮断する」という効果を 持っている。原因は何も対処されていない。

 

そうして、原因とそれを表す信号ラインを切り離すことで、原因は場合によっては悪化する。だって本来のアラートラインを切っちゃったのだから、記憶は薄れ、時にはそこが忘れられ、そしてやがて取り戻せないほど悪化していくことがある。目を向ける事自体が大変で、目を背ける方が楽だから。今が楽だから、今見たくないから。

 

でも、総じて昨今の社会はいろんなことを「対処療法」でばかり取り扱っていないかと。貧困とか、格差とか、いじめとか、原発とか、エネルギーとか、安全とか…。