基準は伝わっているのか

ゴミが10個落ちていたとしよう。

3つだけ拾っても、残り7つは散乱したまま。

5つ拾ったところで、考え方は同じ、ごみは残り続ける。

10個拾ってきれいになったところで、やっとある意味でだれにでもわかる「拾った」という価値が出てくる。

もちろん、これは例えの問題で、実例はいろいろと程度の差がある事。

 

とにかく、「ここまでやったら」という事がどれだけ明確でわかりやすく、ここに同じように理解されているか?という事こそが課題。

 

上司が部下に向かって、「みんながうまくやってくれない」と言うのは、みんなにやる気がないのか、みんながどこまでやればいいのかを理解してもらえているか。逆に言えばどこまでやる事によって評価されるポイントになるのかが、きちんと個々のメンバーに意識されていないのではないのか?

「やれ」と言うのはたやすい。だがそのやった事個々のゴール設定、評価設定が、明確に被評価者と評価者で同じ基準を意識できているか?

 

「それは伝えた」といったとしても、聞いているほうは「理解していない」ことがよくあること。「伝えたことが伝わったこと」でないのは言わずもがなで「伝わったことが伝えたこと」。

 

そうして伝えた「基準」は「伝わっている」だろうか?
すでにここに2つのハードルが横たわっているのだが。