絶対的/相対的ポジション…

ある時代の同窓会を構想していたりするのだけれど、なかなか人が集まらないのが悩みの種。とは言え、それぞれにも事情もあるだろう。

 

当時は頭が良かったり、スポーツができたりともてはやされていた人であったとしても、すべからくそうした人々が成功した、うまく行った…とは限らないのが世の常。上手くいかなかった人、きっと多くの場合、その当人はプライドも少なからず高めであった方も少なくないのではないだろうか?
しかし時が経ち、やがて社会へ出、それなりの生業に着き、何らかの対価をいただいて生活が回り始める。が、いずれの方にせよ、当人が思っていたような生業に着けたか、給料が稼げているか。思う通りにいかないのが当たり前。

 

そんな中で「同窓会やりませんか?参加してもらえませんか?」と来た日には、多少なりとも余裕があったり、自分のプライドが傷つかない程度の仕事ができていればいいほう。少なくとも「今はこうだけど、将来は絶対…」といった夢がつながっている若いうちであればまだまだ大丈夫だ。

 

しかし人生、いつかは先が見える時が来る。人によっては40代や50代、人によっては30代でどん底に突き落とされるかもしれない。すでにほとんどの人々は、『終身雇用制』などという言葉を信じちゃいない。放り出されないために、いかに無事に過ごし切るかで神経をすり減らし、ストレスに押しつぶされそうになりながら。

 

これはその就職している会社が良い悪いではなく、実は、「他人から見られた自分がどう見られているのか」というプライドが大きく作用しているところが多いだろう。同情されたくない、落ちぶれたと思われたくない…。そうしたネガティブ「に見えているだろうという思い」こそが、自分で自分自身を低く評価する根源。絶対的位置ではなく、実は「当時の理想とのギャップ…だと見えているだろうという思い込み」にさいなまれているだけなのではないかと。

いや、ここまで生き抜いてきたことそのものが、実は凄いはずなんだけど。

 

つくづく、ややこしいもんだな。