つまみ食いはできない

台所から良い香りがして、おいしそうなものが皿に並び始めているとき、ちょっと一つ…というかんじでのつまみ食いほど楽しいことはない。このちょっとだけ、おいしそうなところだけ味わえる仕組み。

 

でも、つまみ食いできないものもある。それは誰かの人生。

人生は一つしか経験できない。だからここだけ「誰かの人生」をつまみ食いするといったことは不可能で、それをつまみ食いした瞬間に「あなたの人生」になるしかない。
哲学問答のようだけれど、手を付けたとたんに、それは手を付ける前の状態ではなくなってしまう。だから、「おいしそうに見える誰かの人生」は、そう見えている間しかそれであり得ない。

それを何らかの形で「つまみ食いした瞬間」に、期待していたものは変質する。それは「想像していたもの」との対比でしかなく、他の人生よりも「不味い」のか「美味しい」のかは、すでに判断対象ではなく、自分ごと、自分の人生になってしまうほかない。

 

自分の人生は、自分で「美味しく」味付けしていくしかないし、誰かに何とかしてもらうものでもない。

であるからこそ、慎重にいかなければならないし、挑戦し続けなければ、変化し続けなければ保ち続けることすら難しい。

ほんと、楽はさせてくれない。