技術革新というか

イノベーション

これができれば経済が発展し、国が富み、生活が豊かになる。

…みたいな「印象」を持つ事が多い。

でも、じゃあ「イノベーションを起こしてください!」と言われても、「ハイではこれで…」と簡単にいかない事も、誰もが知っている。

 

日本においては、「イノベーション」というカタカナ語と同時に、この訳語として「技術革新」と訳されることが多いように思う。…が、本当に「技術」が確信されないといけないのだろうか?

 

広い意味での「技術」ととらえれば、まさにそうかもしれないが、結果的に「技術」というこの言葉の上での定義/範囲が共通意識として定まっていないので、そりゃ無理だと思う人、まだまだいけると思う人、思いは様々。

 

たとえば、「電球」が発明されたり「エンジン」が発明されたのは、まさにそれ以前にはなかった技術が結実したものなのかもしれない。誰もが思う「技術革新」だろう。

でも(異論はいろいろあるだろうけれど)たとえば今でこそ普通に皆が使っているスマートホンだけれど、iPhoneが発表されたとき、それに搭載されている技術のそれぞれは、特に大きな技術革新だと思っていたエンジニアは多くなかったんじゃなかっただろうか?技術革新というよりも、「ある技術を、うまいバランスの下に、リパッケージした製品」ととらえた人はいたんじゃないだろうか?

 

そういう意味では、確かに「真の意味」での「技術革新」もあるだろうけれど、既存技術のバランスの良い取り入れ方による「発想革新」というのが、今現実的に多く起こっている、起こせる可能性の高い「イノベーション」ではないのだろうか?

 

「技術」と言われると、「俺にはそんな技術はない」と最初からあきらめる人がいる。しかし考えて見るまでもなく、あのスティーブ・ジョブズはエンジニアでも何でもない、彼の「発想」がiMacを生み、iPhoneを考えだし、それに鼓舞されたエンジニアがそれらを現実化した。

 

と考えれば、技術がないものでも、それを実現してくれる仲間さえいれば、「イノベーション」は可能だということ。

みんなで、「発想革新」してみませんか?(笑)