忘れられたアウトプット
「できる人がやればいいじゃないか」
現場でこのような意見が出ることがある。もちろん、その方が効率的でもあるだろうし、成果の品質もよさそうだ。
けれどこれは、結果的に「甘え」を助長する構造を生む一端になっていないだろうか?
「できる人がやる」事によって、「できない人がやる」場合に比べ、その品質は一般的に高く、時間もかからずにできる。だがこれを続ける限り、その作業はその人に固定となり続け、場合によってはその人はそれ以上になにも努力を重ねなくなるかもしれない。
チームで作業をする際には、もちろん、慣れている人が慣れている作業をするというスピード最優先の場合もあるのだけれど、それ以外の価値として、「メンバー自身が新たな成長をすること」も重要なアウトプットの一部だ。が、どうしてもスピード優先でこちらが軽んじられやすい。
だからこそ、仕事を通じ、作業を通じて、それぞれがそれぞれの「成長」を見られるように配置する必要があり、それぞれがたとえ小さくとも「成長」というアウトプットをもってして次へと進まなければ、組織やチームはいつまでたってもある閾値を越えられなくなる。
その意味では、「新入社員」を取って、「正社員」として育ててきた日本の「会社」の在り方は、やり方のうまい/まずいはあるにせよ、成長はさせてきた。
…が、昨今の、取った次の日から即戦力たる、中途採用重視、即実践力重視というのは、それはそもそも「育てる」という意識を捨て始めているところにつながり始めているような気がするのだ。
「育てる」という部分を、「効率化」の名の下に切り捨て始めた組織や集団に、未来があるとは思えない。