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本音と空気

社会一般に向けていっている事、推奨している事、かっこいいことはいろいろある。確かにそうだし、納得できる。そうあるべきだとだれもが思う。

…が、それを実際に自分でやってみたとしたら何が起きるか。よほどの無知でもない限り、周りがどのようにふるまうかも知っている。「総論は皆が賛成」する、が、それが自分事として降りかかってきた時の事も知っている、想像できるから、「各論反対」。

 

チャレンジせよという。チャレンジは素晴らしいことだという。

けれど、チャレンジは文字通り「チャレンジ」であり、必ず成功するものではない。そして、失敗した人、失敗したことに対して日本はかなりの確率で「叩く」。口ではそんなことはないなどと言いながら、実際ネットで炎上していたり、ベンチャー企業がなかなか育たないところを見てもそれはもう明らかな事。「水に落ちた犬は叩く」といった意味の他国のことわざをバカにするような口ぶりはするけれど、自分たちがやっていることは、実はそれと違わない。

 

だから、「チャレンジしましょう」と今言われているそのより正確な意味は、「(失敗しないように)チャレンジしましょう」であり、「成功が分かる場合にのみ、チャレンジしましょう」的な、意味の倒錯を含むキーワードでしかなく、それを皆が敏感に嗅ぎ取るからこそ当然、チャレンジなどしない、事になる。

本当に、「失敗するかもしれない。でも、それでも挑みましょう!」という意味の「チャレンジではない事」が、皆、暗黙知としてわかっているからこそ、挑まない。誰も「ほぼ分かりきった痛い目」は見たくないのは当然でもある。

 

いや、そんな人がこれからも出てくるかもしれないけれど、たぶん、そういう人たちはこの国に居続けたところで居心地がよくないから海外へ移りたがるんじゃないかな。
これこそ、国を挙げて根底からひっくり返すような、文化的、教育的配慮をしていかないと、たぶん、国としては今以上の速度で沈み続けそうな気がする。「本音」を「空気で察知せよ」と言っているうちは、どうしたって他の国に最後のところは分かってもらえない…というか、グローバルには理解されないんじゃないかな。

日本が世界の一流の仲間入りをしていた頃の「夢」を見続けたいのはわかるけれど、現実を見つめよう、出ないと単に逃げ回るのとそう違いはない。昔はよかったのかもしれない、でも今の時代でもそれをずっと続けることで、実は不利益を被っているんじゃないの?僕らの現実を「空気」にしたり「感じ」たりするに止まらずに、きちんと「理解する」こと。そうしたくない人、現実を見たくない人、いるんじゃないですか?100年安心なんとかプランのように…。