する極意、される極意
組織に属して何年か経つと、当たり前のように部下を取りまとめる役目になったり、派遣社員メンバーを統括していく必要が出てきたりする。
…が、いわゆる部下が付いた瞬間から悩みが始まる。思ったとおりに仕事は進まないし、なかなかそのチームで成果が出せず、悩む人が多い。
だからリーダーからメンバーに指示が飛ぶ。これをしなさい、あれをやってください。その途中、最後を見ながら、これはダメ、こう直して。あれは違う、どうしてわからないかなぁ…と。
現場は思う。なら最初からそう言ってくれ、とか、何をしたいんだかよくわからない、と。
たぶん「ダメ出し」にも、良いものと悪いものがあるんだろう。
悪いであろうダメ出しは、「それは違う」「そうじゃない」と、違うことだけを伝えるもの。「あぁやって」と言ってやったことが、後で「やっぱりこうやって」といつも方向が違っていたり。
間違ったことだけ伝えていても、違うということだけ伝えていても、なかなかやる側には伝わらない。ダメ出しする側にはスキルが必要だ。
これがすべてではないけれど、良いダメ出しは?
「こうやってほしかったんだけれど、ココがこうじゃないんだ。こうしてくれないか?」とか、「全体としてこういうことを目指している。その上でのこの部分だ。だとこんな工夫が必要になるよね?」とか。要するに具体的にすべきことをきちんと示してくれる。全体の中でのココの位置づけを教えてくれる。
ただ、ダメ出しされる方にも極意があるんじゃないかと思っている。
すべての「作業」を指示することなどまず無理だ。だから相手の意図を組もうとか、考えずに作業などできないはず。
「言ったとおりにやりました」は、「言ったとおりに“しか”やりませんでした」という事に。自分に伝わりきれていないところをどう「考えるか」を考えないといけないところを考えない。これなら当然のことながら、いつかはもっと安い工賃の誰か、もしくはロボットに切り替えられても当然だろう。
する側の極意、される側の極意。両方の立場を意識できるか、イメージできるか。
…ってことを昔の人は、「敵を知り己を知れば…」って言ってるんでしょ?
良いダメ出しは
悪いダメ出しは
理想形があるのか、描けているのか