総活躍と言うなら

経済状況が「好転」している雰囲気がない時期がずっと続いている。…が、それが日常になってしまえば、それこそが日常であり、当たり前。

 

でも、経済界から言わせれば、成長は必須。去年よりも今年は…。そんな計画を立て、それを実行させようとする。

けれど社会が変化している中で、以前と同じようにしているだけではうまく行かない事もある。それは会社も、組織も、そして個人も。

 

そんな中で、「個人」はこう言われたりする。お前は劣っている、能無しだなどと罵られたりする。個人も「そう言われる」と不覚にもそうかもしれないと思い込みがち…。だが、ちょっと待った!

 

人も変わる必要がある事を理解したうえで、でもそうそう簡単には変われない。だとすると、今手持ちの能力、実力が、何に向いているのかを考える必要がある。が組織は、特に既存組織の多くそうは考えない事が多い。

朝には「こっち」を向いていた組織が、夕方には「あっち」を向くようになって大きく切り替えたとしても、ずっと「こっち」を向き続けている人は、「あっち」向きからすると劣っているようにも見えなくもない。が、それは単に「今の状況に合わなくなった」という事。

 

残念ながら、あまり知恵やアイデアのない組織は、そうした臨機応変の変化に対応できないメンバーをうまくサジェストしたり、方向を変えさせることが苦手だったりする。なので、劣っていると「今の組織の方向に即して、今のポジションでの価値」を評価して判断。

だが全てのメンバーが全て会社の動きに同期して同期して、あっち向き、こっち向きにに変われない。

 

ただね、すべての会社、組織が「あっち」向きになったとは限らないんですよ。そんな「あっち」向きに変わってしまって自分に合わなくなった組織なら、自分が合わせられなくなったら、早々に抜け出して、「こっち」向きの組織に鞍替えしたほうが、会社も個人も、たぶんどちらも幸せに。

 

「総活躍」などというなら、そうした相対評価ではなく絶対評価の上で、その人が持つ絶対的価値を評価してくれるであろう場所で活躍できるようにするのが本位でしょ。

確かにそれを完全に仕組みでカバーできる/できているとも思わないけれど、逆にそれを完全に個人に押し付けてしまえるのか?そこで疑問符が浮かぶ。今のマッチングシステム自体がうまく働いていなくて。「総活躍」と言うなら、全ての人が持つそれぞれの価値を、その場の相対評価でなく、絶対評価できる仕組みが必要じゃないかな。相対評価って、できる人できない人、や、すごい人すごくない人、を仕分ける、格差を明確にする見方でしょ?